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日本における「お酒の起源」とは? 列島に住んだ人々とお酒の歴史 


どこにでも売っているさまざまな「お酒」。洋酒やワインに日本酒・焼酎、それに世界各地の珍しいアルコール飲料。今回はお酒についてのお話です。


 

■日本列島に生きる人々と酒

 

 お酒は飲める人と飲めない人がゲノム解析でわかる時代ですが、酒文化を持たない民族はいないとまでいわれます。そういえば世界中どこに行っても現地特有の酒文化があるように思います。では、私たちの日本列島にはいつごろ酒文化が発祥したのでしょうか?

現代の清酒(左)と果実酒を代表するワイン。
撮影:柏木宏之

 世界に誇る現代の日本酒は平安時代から室町時代にその祖型が造られ始めたと考えられています。その昔、国家が保護した大寺院の経営には莫大な費用がかかりましたが、武士の時代を迎える頃になると徐々に国家からの援助がなくなり、大きな寺院ほど経営が行き詰まりました。

 

 当時は神仏習合が当たり前の時代ですから、仏教寺院にもお神酒が必要でした。そこで始まったのが「僧坊酒(そうぼうしゅ)」と呼ばれる寺院での「諸白(もろはく)」と呼ばれる酒造りでした。興福寺から送られた諸白には織田信長も喜んだと記録されています。

 

 奈良市の南にある菩提山正暦寺(ぼだいせんしょうりゃくじ)という寺が、現代につながる酒造の発祥地だといわれています。ここは山裾に広大な寺域を持ち、多くの僧侶が学ぶ学問寺で、塔頭も非常に多い寺でした。この大寺院を経営するための費用も莫大なものです。

 

 ところがこの正暦寺の寺域から、酒造りに適した特殊な乳酸菌を含んだ水が湧き出ていたのです。

そこで蒸し米から清酒を造ることに成功し、それまでのどぶろくとは違い広範囲に流通させて販路を広げることにも成功します。

 

 大変な評判でその結果、関係の深い興福寺に収める壺銭(つぼせん)という上納金が、現代換算にすると年間20億円ほどに達したそうです。同じように各地で僧坊酒が造られ始めて、寺院経営に大きく貢献したといいます。

 

 これは流通する清酒の始まりではありますが、アルコール飲料の始まりはもっともっと大昔のことで、人類発祥と同時ぐらいに遡るのではないかという説もあります。

 

 はじまりは採取した果物が自然発酵をして果実酒ができたことなのではないかと思われます。この経験によって人類が人工的に果実酒の生産を始めたのだろうと容易に想像できますが、やはり土器の発明後に日常的な酒造りが始まったのでしょう。

  

 今のところ3~4000年前にヤマブドウやニワトコなどの実を壺型土器に入れて発酵させた可能性の痕跡が発見されています。これは有孔鍔付土器(ゆうこうつばつきどき)といわれる特殊な壺型土器で、口縁部には数ミリ程度の丸い穴がぐるりと取り巻いています。おそらくこの土器には蓋があり、果実が発酵するときに出るガス抜きの孔であろうというのが有力な解釈です。

 

 ヤマブドウなどの果実を自然発酵させると糖分がアルコールに変換されて果実酒ができます。研究によると、おそらくそれほど甘くもなくむしろ酸っぱさがあり、アルコール分も低いものだった考えられています。しかし縄文人たちはこういった果実酒を醸して祭りの時に飲んだのだろうと思われます。これは原理を知らなくても、すばらしいバイオテクノロジーの始まりだといえるでしょう。

 

 やがて弥生時代になって稲作が始まると、米を原料にした酒造りが始まります。おそらく弥生時代に米文化と共に米酒の造り方も日本列島に流入してきたのでしょう。

 

 皆さんもご飯を口の中で百回ぐらい噛んでみてください。じわっと甘みが感じられませんか? これは口中の酵母がご飯のでんぷんを糖分に変えているのです。この時に大事なのが体温で、36度ぐらいの温度が無ければ糖分にはそう簡単に変わらないそうです。

 

 これを利用した超古代の米酒造りが「口噛み酒(くちかみざけ)」だそうです。ご飯を口に入れて、百回ぐらい噛んだ物を壺の中に吐き戻すという実に気持ちの悪い酒造方ですが、その後、カビ菌(麹菌)がご飯を発酵させることを知ります。

 

 第十六代仁徳天皇の時代に、皇后の磐之媛が、酒宴のために柏葉を取りに行く話があります。この時代の酒はゼリー状のものだったそうで、これを柏の葉にくるんで食べた?と考えられています。

 

 奈良時代には「濁れる酒」と呼ばれる水様のどぶろくになったようです。太宰府長官になった大伴旅人は大酒飲みだったそうで、酒に関する万葉歌を十三首も残しています。「○験(しるし)なき物を思(おも)はずは一杯(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし 巻三(三三八)」

 あれこれと思い悩むぐらいなら、一杯の濁り酒を呑んでいた方が良いよなあ。

 

「○なかなかに人とあらずは酒壺(さかつぼ)に成りにてしかも酒に染(し)みなむ 巻三(三四三)」

 中途半端に人間でいるよりはいっそのこと酒壺になって酒に染みていたいものだなあ。

 

 いかにも酒を愛した人だということがわかりますが、やはりこの時代は濁り酒であって、清酒ではありません。いわゆる「どぶろく」という酒で、あくまで自家製自家消費であって、流通酒ではありません。

奈良朝廷の造酒司跡。
撮影:柏木宏之

 時代はずっと下って大坂冬の陣の時、現在の大阪府池田市は酒造りの中心地でした。当時、呉服(くれは)の里と呼ばれていた池田の酒造業者は清酒樽を家康の本陣に届けたそうで、きれいに澄んだ木の香漂う清酒に家康がたいそう感激をして、池田を特別扱いにするという御朱印を下したという話もあります。

 

 現代は日本中各地に地酒があり、どれも甲乙つけがたいおいしさがあります。今なら大伴旅人がどんな歌を詠ったか?想像するのも楽しいですね。ヤマタノオロチ退治にも酒が登場し、『魏志倭人伝』にも倭人は酒好きだと書かれ、平城京には官営の造酒司が設置され、長く愛され続けている酒文化です。お酒はほどほどに嗜むのなら、良いものなのではないでしょうか?

 

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柏木 宏之(かしわぎ ひろゆき)
柏木 宏之かしわぎ ひろゆき

1958年生まれ。関西外国語大学スペイン語学科卒業。1983年から2023年まで放送アナウンサー、ニュース、演芸、バラエティ、情報、ワイドショー、ラジオパーソナリティ、歴史番組を数多く担当。現在はフリーアナウンサーと同時に武庫川学院文学部非常勤講師を務め、社会人歴史研究会「まほろば総研」を主宰。2010年、奈良大学通信教育部文化財歴史学科卒業学芸員資格取得。専門分野は古代史。歴史物語を執筆中。

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