「戦国最強」と謳われた“甲斐の虎”武田家は清和源氏の正当を生きた甲斐源氏の系譜を汲んだ名家【戦国武将のルーツをたどる】
戦国武将のルーツを辿る【第8回】
日本での「武士の起こり」は、遠く平安時代の「源氏」と「平家」に始まるという。「源平」がこれに当たるが、戦国時代の武将たちもこぞって自らの出自を「源平」に求めた形跡はある。だが、そのほとんどが明確なルーツはないままに「源平」を名乗ろうとした。由緒のあるか確たる氏素性を持った戦国大名は数えるほどしかいない。そうした戦国武将・大名家も、自分の家のルーツを主張した。絵空事も多いが、そうした主張に耳を貸してみたい。今回は戦国最強とも呼ばれた武田信玄の家「武田家」の歴史をひもとく。

武田信玄像と富士山
平安時代初期の清和天皇(858~875)を祖とする清和源氏の系譜に、清和天皇の曾孫・源満仲(みなもとのみつなか)がおり、その子に武勇優れた3人の男児があった。1人は摂津源氏・源頼光(よりみつ/大江山の鬼退治で知られる)、1人は大和源氏・頼親(よりちか)、1人は河内源氏・頼信(よりのぶ)である。このうち、頼信は長元2年(1029)、甲斐守に任じられ、その武勇を発揮したのが房総地方に君臨していた平忠常の討伐であった。頼信は、この功績で美濃守に栄進して甲斐国を去る。
頼信の嫡男・頼義は陸奥守と鎮守府将軍を兼務し、「前九年の役」(1051)に出兵して陸奥の豪族、安倍頼時・貞任父子と戦った。この頼義にも3人の逞しい男児がいた。長男・八幡太郎義家、2男・加茂二郎義綱、3男・新羅三郎義光(しんらさぶろうよしみつ)である。やがて義家の系譜が「源氏嫡流」とされ、源頼朝に繋がる。そして義光の系譜から、後に「甲斐源氏」と称する武田氏が生まれることになる。
義家・義光は「後三年の役」(1062)を戦い安倍氏を平定した。義光はこうした功で、刑部丞に任じられ、常陸介から甲斐守に栄進して関東地方の「源氏」の基礎を築いた。
義光には5人の男児がいたが、その長男は常陸国佐竹郷に住んだ源義業(佐竹氏の祖)であり、常陸国武田郷に住んだのが3男・源義清(よしきよ)であった。この後に、義清はこの地で問題を起こした長男・清光とともに甲斐国市河荘に配流された。義清・清光父子は徐々に甲斐国を領有し、ついには「甲斐源氏・武田」を標榜するようになる。この系譜が戦国時代の武田信玄に連なっていくのである。
頼朝が鎌倉幕府を開くと、新羅三郎義光を祖とする佐竹氏、武田氏などが鎌倉に駆け付けることになるが、佐竹氏の動きは遅く頼朝の怒りを買うことにもなった。しかし、高倉宮・以仁王のもたらした「平家討伐の令旨」を受けた甲斐源氏の面々は、頼朝以前から平氏と戦っており、例えば「富士川合戦」で平家の大軍を打ち破ったのも甲斐源氏であった。しかし、甲斐源氏の実力を怖れた嫉妬深い頼朝によって、甲斐源氏の若手たちや実力者たちは、櫛の歯を折られるように徐々に頼朝によって排除され殺されていった。棟梁・武田信義の嫡男・一条忠頼や安田義定などが頼朝の嫉妬の犠牲になった。
逆に頼朝によって重く用いられるようになったのが、武田信光、小笠原長清などである。信光は「武田家」、長清は徳川幕府の開幕から明治維新まで続く名家「小笠原氏」の祖でもある。後に、ここから作法や流鏑馬などの「小笠原流」が生まれている。
甲斐源氏・武田氏は、名将・武田信玄(しんげん)の代に至るまでかなりの紆余曲折を経た。武田家自体の内訌が度々あり、一族間で親子兄弟が覇権を競った。甲斐国外からの干渉も度々あり、決して順風満帆の歴史を刻んだ訳ではなかった。
それでも戦国時代初期、内訌を勝ち抜いた若き武田信虎(のぶとら)が武田家を統合し、やがて信玄が出てくる下地を作った。歴史上では、信虎の悪役ぶりばかりが強調されるが、武田氏としては信虎がいなければ、武田家存亡の危機に陥っていたはずである。信虎の再評価が待たれるところである。
そして、この信虎・信玄・勝頼をして「武田三代」とするが、実は勝頼は「武田氏」よりも母方の「諏訪氏」の血筋が濃厚とされるという指摘もある。
いずれにしても源頼朝とその子たち、頼家・実朝の相次ぐ死によって、武士の最高峰といわれた「源氏」の称号は、武田信玄に移っていたのである。なお、足利氏・新田氏の祖は、八幡太郎義家の2男・義国に発するのである。
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