朝ドラ『あんぱん』その後のやなせたかし氏の活躍と晩年 妻・暢さんを亡くしてからの人生とは
朝ドラ『あんぱん』外伝no.78
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』は、最終週「愛と勇気だけが友達さ」が放送され、約半年の物語が終わりを迎えた。「アンパンマン」という「逆転しない正義」にたどり着いた嵩(演:北村匠海)とのぶ(演:今田美桜)。2人は出会ってからの人生を振り返り、幸せを噛みしめた。さて、本連載の最後として、「その後のやなせたかし氏」の人生をお届けしたい。
■暢さんと死別してから約20年を駆け抜けたやなせたかし氏
テレビアニメ『それいけ! アンパンマン』は、まさに昭和と平成の過渡期、時代が動こうとするその時に誕生した。初回放送は、昭和天皇の病状悪化による自粛ムードが漂っていた昭和63年(1988)10月3日だった。
誰からも期待されていなかったアニメは、予想を裏切って視聴率7%という好スタートを切り、以降子どもたちの圧倒的支持を受けて一躍人気アニメへと成長していく。元号が変わって平成元年(1989)3月には文化庁テレビ優秀映画に選出。さらに、平成2年(1990)に、やなせ氏は日本漫画家協会大賞を受賞した。長く漫画家としての栄光を手にできないままだったやなせ氏にとって、これは何よりも嬉しい出来事だったという。「やっと漫画家として初級の一歩が踏みだせた感じ」と、謙虚に語っている。
あっという間に原作のストックを使い果たすアニメと戦いながら、気づけば絵本は一千万部を突破し、グッズの売れ行きも絶好調。収入も一気に増えた。夫妻の長年の努力が実を結んだ結果である。
平成3年(1991)、今度は勲四等瑞宝章を授与されることが決まり、妻・暢さんを伴って式典に出席。その後、秋の園遊会で当時の天皇皇后両陛下と夫妻揃って言葉を交わしている。
しかし、現実は残酷だった。がんと闘ってきた暢さんは、平成5年(1993)に容態が急変。どんな手を使っても生き長らえさせたいというやなせ氏の願いも虚しく、同年11月22日に75歳でこの世を去った。やなせ氏にとって最愛の妻であり、同志であった暢さんを喪った落胆は大きく、絶望した。
それでも、やなせ氏は悲しみを抱いたままその後もアンパンマンを描き続けた。平成6年(1994)には、スタッフの献身的なサポートもあって、やなせ氏が運営するアンパンマンショップが誕生。喜寿を迎えた平成8年(1996)には、「やなせたかし先生喜寿の祝い」のパーティーを提案され、なんと自ら演出を申し出た。
そこで思いついたのが「結婚式スタイル」。暢さんと結婚式を挙げなかったことが後悔の1つで、ここで叶えようと思った。花嫁役に選んだのは、暢さんの病状を知って「丸山ワクチン」を勧めてくれた漫画家・里中満智子さんだった。こうしてやなせ氏プロデュースの「架空結婚式」が執り行われ、誰もがおもしろがって笑顔溢れる会となったそうだ。
同年には故郷に香美市立やなせたかし記念館「アンパンマンミュージアム」が開館。その後もアンパンマン関連の仕事はもちろん、自作のミュージカルの公演、作曲など様々なことにチャレンジ。また、日本における漫画の振興、漫画家の支援などにも精力的に取り組んだ。平成12年(2000)には、日本漫画家協会理事長にも就任している。
「漫画家なら言動もおもしろく」がポリシーで、いつもどうすれば誰かを喜ばせたり、笑わせたりできるかを考える人だった。その優しく、おおらかでチャーミングな人柄は多くの人の記憶に残っていることだろう。本稿にはとても書ききれないほどの功績を残して、やなせ氏は平成25年(2013)10月13日、94歳でこの世を去った。最愛の妻暢さんと死別してから、約20年が経っていた。そしてやなせ氏が生み出した多くの物語とキャラクターは、今なお子どもから大人まで、多くの人々に笑顔と温もりを届けてくれている。

イメージ/イラストAC
<参考>
■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)
■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)