朝ドラ『あんぱん』アニメに課された「最悪の条件」とは? 「どうせ視聴率はとれない」という誤算
朝ドラ『あんぱん』外伝no.76
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』は、最終週「愛と勇気だけが友達さ」が放送中。嵩(演:北村匠海)とのぶ(演:今田美桜)のもとに、テレビ局のプロデューサー・武山恵三(演:前原 滉)が訪ねてくる。彼は「アンパンマン愛」を語り、テレビアニメ化したいと願い出たのだ。しかし、かつてアニメ化にあたって作品やキャラクターを傷つけられそうになった経験から、嵩は一度その話を断る。それにもめげずに再度企画書を持参した武山の熱意に心動かされたのぶは、嵩の背中を押し、約2年の時を経てついにテレビアニメ放映を迎えるのだった。さて、このあたりはかなり史実通りに描かれているが、「アンパンマン」を取り巻く環境はさらに悪かった。
■「ハズレ枠」に放送、昭和天皇の病状悪化で自粛ムード…
昭和60年(1985)、やなせ氏のもとには「アンパンマン」のテレビアニメ化の話がもちこまれていた。いくつかの局から打診されていたものの、企画途中で頓挫するばかり。しかも自身も体調が悪く、やなせ氏自身はこれ以上仕事を増やしたくないと乗り気ではなかった。
しばらく目の調子が悪かったため、間をあけて両目とも手術を受けた。また、同時期に血尿が出たことで受診すると、結石によるものだと診断され、手術を受けることになった。そうした体調の問題もありながら、最終的に日本テレビのプロデューサー・武井氏の不屈の精神に動かされて、テレビアニメ化の話を進めることになった。
しかし、ここからがまた問題続きで、なかなかアニメ放映が決まらなかった。テレビ局側からの要望にやなせ氏が妥協できなかった部分もあったし、スポンサーが絡む問題も起きたという。ようやく放映が決定したのは、昭和63年(1988)になってからのことだった。
放映が決まったといっても、かなり厳しい状況だったという。やなせ氏は著書で「月曜の午後5時という、再放送しかやらない時間帯、しかも関東4局のみというまれにみる最悪の条件」と回顧している。スタッフが集まった場でもプロデューサー自身が「従来、何を放送しても2%しか視聴率がとれないという時間帯なので期待しないでください」と挨拶し、やなせ氏自身も「視聴率が最低の時間帯というなら、下がりはしない。上がるだけです」と言うのが精いっぱいだったそうだ。当然、現場のテンションも決して高くはなかった。
しかも、昭和天皇の病状悪化をうけて、テレビ局では既に自粛ムードが漂っていた。満足な宣伝もできず、新番組放映の際の恒例だったパーティーも開催されず、誰からも期待されないスタートとなったのである。
この時、やなせ氏は69歳。自身の健康問題はもちろん、ちょうどテレビアニメが放映された頃に妻・暢さんはがんと診断され、「余命3ヶ月」と宣告されていた。最愛の妻への突然の余命宣告に、大きなショックを受け、「なぜ気づいてやれなかったのか」と自分を責めた。その上、暢さんの母(やなせ氏にとっての義母)は認知症が進んで入院していたという。プライベートでも、それだけ苦しい時期だった。
やなせ氏はもう熾烈なアニメ業界の競争に飛び込む元気はないと思い、アニメのスタッフにも「原作は提供するが、アニメの製作現場にはいっさい関わらない。お任せするので自由に作ってください」と言うほどだったという。とはいえ、実際出来上がったものに対してはやはり思うところがあり、結果としてやなせ氏は毎週試写とミーティングに参加することになる。
こうして、テレビアニメ『それいけ! アンパンマン』は、同年10月に放送開始となった。その後、誰もが予想しなかった大成功をおさめるのは、周知の通りである。

イメージ/イラストAC
<参考>
■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)
■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)