太平洋戦争敗北への導火線は第1次世界大戦前からあった⁉ 日米関係を悪化させた「桂・ハリマン協定」とは何だったのか⁉─日本の開戦までの8つの過ち【その1】─
太平洋戦争のすべて〜戦後80年目の真実〜#02

桂太郎
日英同盟締結、日露戦争、日韓併合などを主導したといわれる人物。桂・ハリマン協定は当時、首相であった桂と「鉄道王」と呼ばれたアメリカの実業家ハリマンとの間にかわされた。(国会図書館蔵)
■小村寿太郎の大反対で一方的に協定を破棄
日露戦争は、大国ロシアとの戦いゆえ日本の兵力と戦費は底を突き、まさに辛勝だった。戦費は約20億円かかったが、うち約4割が外債でまかなわれた。その大半はイギリス人とアメリカ人が買ってくれた。つまり両国の協力がなければ、戦争に勝つことは難しかったのだ。イギリスが協力したのは、南下するロシアと利害が対立しており、日英同盟のよしみもあったから。一方アメリカは、まだ中国に足場を持っていなかった。だから日本が勝ってロシアの満洲権益を獲得すれば、分け前にあずかれると期待したのだ。
1905年8月末、アメリカの鉄道王と呼ばれたハリマンが来日した。外債500万ドルを引き受けてくれた恩人だった。ハリマンは日本政府に、ロシアから割譲予定の南満洲鉄道(東清鉄道南支線)の共同経営を申し入れた。桂太郎内閣はそれを了承し、桂・ハリマン協定を結んだ。政府や軍の高官の中には「大国ロシアは必ず再戦を挑んでくる。満洲をアメリカと共同経営すれば、それを阻止できる」と期待したのだ。また「台湾や朝鮮の支配で手一杯で、アメリカと南満州を共同経営するほうが経済的にメリットがある」と予測する者もいた。
だが、ポーツマス条約を結んで帰国した小村寿太郎は、自分が必死に交渉して獲得した満洲利権をアメリカと分け合うことに猛烈に反対した。小村は満洲は大きな収益になると確信していた。結果、日本政府は協定の破棄を通告した。ハリマンは不服を申し立てたが、日本政府は受け入れなかった。この裏切りはアメリカ人を憤慨させた。アメリカ政府は、日本に満州の門戸開放を求め、1909年には南満州鉄道の中立化を各国に訴えた。日本政府はアメリカを仮想敵国と考え、日露協約や日英同盟によって満洲の利権を守ろうとした。こうして日米関係は急速に悪化、以後、日本が中国に進出するたびにアメリカは強く非難するようになり、太平洋戦争の遠因となったのである。
監修・文/河合 敦
歴史人2025年9月号『太平洋戦争のすべて〜戦後80年目の真実〜』より