朝ドラ『あんぱん』芸者を呼んで宴会、民家から略奪… やなせたかし氏が見た上官の悪行
朝ドラ『あんぱん』外伝no.42
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』は、第12週「逆転しない正義」が放送中。補給路が断たれたことで深刻な食糧不足に陥り、嵩(演:北村匠海)らは追い詰められていく。今野康太(演:櫻井健人)は空腹のあまり民家の老女を脅すが、食べ物はなかった。老女は産みたての卵を茹でて差し出す。空腹は人を変える、そんな厳しい状況が描かれた。さて、史実でのやなせたかし氏は、駐屯地で「人の欲望と堕落」を目の当たりにしていた。今回はそのエピソードを取り上げたい。
■大規模な敵襲もなく平穏に過ぎた福州での2年間
やなせたかし氏(本名:柳瀬 嵩)に赤紙が来たのは、昭和16年(1941)のことだった。故郷で徴兵検査を受け、九州小倉の野戦重砲隊への入隊が命じられる。正式には、陸軍の「第12師団野戦重砲兵第6聯隊補充隊」に加わることになった。
幹部候補生試験を受けた結果、乙種幹部候補生になった嵩さんは、その後下士官の伍長になった。その頃、大隊本部の暗号班に所属することになり、暗号の作成や解読の教育を受けた。実際に自分が手を動かすというよりは、部下が解読した暗号をチェックすることが多かったらしい。
その後、軍曹に昇進し、班長にもなった嵩さんだったが、ここでいよいよ中国へ送られることになる。昭和18年(1943)、上海を経由し、台湾の対岸にある福州に上陸した部隊は、そこで駐屯することになった。
しばらくは敵襲もなく、暗号班での仕事もそれほどないために時間を持て余し、宣撫班のサポートとして紙芝居を作ったり、それを村人たちの前で披露したり、宣撫活動の一端を担うようになった。絵を描くことはずっと好きで、絵日記をつけたり、村人たちの前で民家の壁にチョークで絵を描くこともあったそうだ。部隊ではこの“ライブペインティング”はいい宣撫活動だと好評だったが、厳格なことで知られる師団長からは後でお叱りを受けたという。
嵩さんにとって平穏な福州での日々が過ぎていったが、その中で上官の言動に顔をしかめることも多かったようだ。著書『ぼくは戦争は大きらい: やなせたかしの平和への思い』(小学館クリエイティブ)では、部隊の参謀を務めていた人物を挙げている。
参謀は陸軍大学校を卒業したエリート将校だったらしいが、人間としては褒められたものではなかったという。福州付近で船が難破したり座礁したりすると救出に向かうのだが、そこに芸者が乗っていると連れ帰ってきて宴会を始めていたらしい。また、民家から奪ったものを本国に送ったりと、立場と権力に溺れて好き勝手していたというのだ。
嵩さん自身はこうした上官の醜態を目の当たりにして辟易していたが、それを表立って非難することなどできるはずもない。先述の厳しい師団長も、この参謀の振る舞いには気づかなかったという(もしくは、知っていて見逃していた可能性も否めない)。
そんな福州での日々が約2年過ぎた昭和20年(1945)、嵩さんがいた部隊は上海行きを命じられ、命がけで行軍することになったのだった。

イメージ/イラストAC
<参考>
■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)
■やなせたかし『ぼくは戦争は大きらい: やなせたかしの平和への思い』(小学館クリエイティブ)
■小松孝彰『現地を語る』(亜細亜出版社)