朝ドラ『あんぱん』嵩が加わった「宣撫班」とは? 人道支援で現地の人々を救済するヒーローとして扱われた班員
朝ドラ『あんぱん』外伝no.40
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』は、第12週「逆転しない正義」がスタートした。嵩(演:北村匠海)は絵の上手さを見込まれて、宣撫班に所属するよういわれる。村人が日本軍を憎んでいると実感した嵩は、「正義」のあり方に疑問を抱き……という展開だ。さて、今回は「宣撫班」について、日中戦争当時の書籍も参考にしながら紐解いていく。
■軍曹として暗号班に所属する傍らで紙芝居を作成
九州・小倉にいたやなせたかし氏は、乙種幹部候補生を経てやがて軍曹まで昇進した。著書『アンパンマンの遺書』によると、軍曹になってからは暗号の作成・解読の教育を受けたようだ。外で上官にしごかれながら厳しい訓練を行っているのを、部屋の中から眺めていたと述懐している。暗号班は頭を使う班ではあるが、その分体力的には幾分か緩やかな班だったらしく、やなせたかし氏はこれを“無風地帯”と表現している。
さて、そんな中いよいよ中国へ送られることが決まり、長時間輸送船に揺られて台湾の向かい側にある福州という地に上陸した。上陸後、やなせたかし氏自身は暗号班ということで、部隊から少し離れた場所に陣を設営したり、防空用の穴を掘ったりしたらしい。ここでは過酷な教練もなかったそうだ。
基本的には暗号班として動いていたが、紙芝居づくりに関わることもあったという。著書の中で「たまには宣撫班みたいに紙芝居を作った」というニュアンスの書き方をしているので、兼務もしくは助っ人のような立ち位置だったと思われる。
さて、宣撫班について触れておきたい。日中戦争中の昭和13年(1938)に刊行された『現地を語る』の「宣撫班とは」という項には、次のように記載されている。現代で差別的とされることもある文言が含まれるが、そのまま引用する。
「彼等は支那軍によつてあくなき掠奪や物資の徴發を受けた許りでなく柱と頼む働き盛りの男達は強制的に抗日戦線に持つて行かれた上、支那軍の豫言に反して、彼等の土は弾丸で堀り返され、家は焼かれ、破壊された。(支那軍は民家を急造のトーチカとしたり、日本軍の進入を恐れて焼き拂ったりしたのである。)」
そしてこう続けるのだ。「彼等は愛する土地を荒らされ、家を失つた許りでなく、國を失つたのである」と。
こうした前提のもと、同書において宣撫班は「慈愛の手を差しのべ、現地の人々を救済し、自発的地方復興に協力する」という輝かしい人道支援であることを強調するのである。同時に、戦争で恐怖心を抱いたり、希望を失った人々に対して、元気と希望を与え、民衆の心を鎮定安撫する役割であると述べられている。また「宣撫班員は身に一片の武器もまとわず、抗日思想に燃え立っている民衆のなかに飛び込んでいき、己を捨てて正義人道のために働いている」と解説されているのだ。
同書の著者は実際に宣撫班を訪ねたことがあるとも書いている。現地で宣撫班が人々の食や怪我人・病人のサポートをし、どの村でも人々は笑って日本兵を迎える。子供たちは日本兵と仲良くなると日本語で挨拶を交わし、日本兵の持ち物(父親に渡す煙草など)をおねだりするとある。著者は「そんな時は私などは熱い涙がこみ上げてしやうがなかった」と記している。まさに「慈愛の精神で敵国の民衆を救済するヒーロー」として扱っているのである。

昭和初期の福州/国立国会図書館蔵『亜細亜大観 第14輯の9』より
<参考>
■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)
■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)
■小松孝彰『現地を語る』(亜細亜出版社)