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人種の壁を破ったパイオニア「ジャッキー・ロビンソン」初の黒人メジャーリーガー現役最後のプレーは日本だった!

あなたの知らない野球の歴史【第3回】


■差別を我慢、紳士としの活躍を求められる

 

 1956年秋、ドジャースが初来日した。チームには人種差別問題解決に一石を投じたジャッキー・ロビンソンがいた。彼はジョージア州で生まれ、UCLAに入学したが黒人の就業が難しく同大を退学、大戦が始まり幹部候補生として従軍したが行く先々で人種差別にあった。除隊後は1945年ニグロ・リーグのカンサスシティー・モナークスに入団した。昼夜を問わず試合に出場したが、ホテルでは黒人を宿泊させないという差別があり、バスに寝泊まりすることが続いた。

 

 人生の分岐点は、1945年にオーナーのブランチ・リッキーに請われてドジャース傘下のモントリオール・ロイヤルズに入団したことに始まる。リッキーは知人の誘いでドジャースの社長兼GMに就任、ほどなく黒人選手を受け入れるマイナー・リーグを創設している。このあたりの彼の熱意は驚くばかりだが、その動機はビジネス優先なのか判然としない部分もあるが結果、ブルックリンで黒人の生活環境を見ていた彼は革新的な改革を行ったことになる。

 

 リッキーはスカウトしたジャッキーに今後「困難な闘い」に直面すること、さらに差別を我慢して紳士として活躍することをアドバイスしている。初の黒人プレーヤーをメジャーに送り込むためには失敗は許されなかった。

 

 さて、1947年4月、ドジャースはジャッキーをメジャーに昇格させ本拠地エベッツ球場でデビューとなった。最初の試合には、観客2万6千人、半分ほどが黒人観客だった。彼は黒人の期待の星だったのだ。各球団の反発は強かったが人種差別に対するペナルティーをコミッショナ―やナ・リーグ会長が示唆するなどして反発する選手を牽制、またレオ・ドローチャー監督は「優秀な選手であれば使う。もし自分に反対するものがいれば出て行ってほしい」と訓示、当初チーム内では反発する選手もいたが徐々に緩和されドジャースは優勝に邁進した。ジャッキーは2割9分7厘、12本塁打、47打点、29盗塁と活躍して新人賞に輝いた

 

 ジャッキーは1949年には首位打者となり、それから6年連続で3割を超え、1956年のシーズン終了後、引退した。つまり日本遠征はジャッキーの現役最後のプレーということになる。彼の功績を称えて2004年4月15日、MLBはこの日を「ジャッキー・ロビンソンディー」と制定している。引退後ジャッキーは、公民権運動に尽力することになる。

 

 

■全選手が42番を着用するようになったきっかけはケン・グリフィーJr

 

 彼の背番号42については、重要なエピソードがある。1997年4月15日、マリナーズに所属していたケン・グリフィーJrがジャッキーに敬意を表して自身の24を逆にしたいと申し出たことがあったが、その10年後レッズに移籍したケン・グリフィーJrはバド・セリグ・コミッショナーに再び42を着用してもいいかと確認した。コミッショナーは、せっかくだから選手全員が42の背番号をつけてはと逆に提案、そこで、同年と翌2008年は希望する選手が42をつけてロビンソン・ディーを祝った。その後MLBは正式に4月15日をロビンソン・ディーに決めると、2009年からは全球団の選手全員、監督、コーチもユニフォームを着用する全員が42をつけることに決まった。我々が見るMLB選手42の背番号はまだ歴史が始まったばかりだ。

 

 さてジャッキーの良き伴侶レイチェル・ロビンソン(1922~)にもふれる必要がある。2023年7月19日だった。同日ドジャー・スタジアムでのオールスター・ゲームがあった。レイチェルはこの日、百歳の誕生日を迎えていた。試合開始前、ホーム・プレート周辺に選手たちが半円に集まり、中央にドジャースのムーキー・ベッツが立ち「今日は特別な日」で、ここでレイチェルの百歳のバースディーを祝いたいと述べ、「ワン、ツー、スリー」の掛け声で選手全員が「ハッピーバースディー、レイチェル」と一斉に合唱して彼女の誕生日を祝った。ベッツと言えば、大谷とフレディ・フリーマンとMVP三人トリオでドジャースを牽引する名選手だ。ドジャースにはレジェンドの精神が脈々と流れているようだ。

ジャッキー・ロビンソンのモニュメント 写真/AC

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波多野 勝はたのまさる

1953年、岐阜県生まれ。歴史学者。1982年慶応義塾大学大学院法学研究科博士課程修了。法学博士。元常磐大学教授。著書に『浜口雄幸』(中公新書)、『昭和天皇 欧米外遊の実像 象徴天皇の外交を再検証する』(芙蓉書房出版)、『明仁皇太子―エリザベス女王戴冠式列席記』(草思社)、『昭和天皇とラストエンペラー―溥儀と満州国の真実』(草思社)、『日米野球の架け橋 鈴木惣太郎の人生と正力松太郎』(芙蓉書房出版)、『日米野球史―メジャーを追いかけた70年』(PHP)など多数。

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