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朝ドラ『あんぱん』史実では東京の下宿先に母がいた!? やなせたかし氏の学生時代を支えた母の愛

朝ドラ『あんぱん』外伝no.18


NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』は、第6週「くるしむのか愛するのか」を放送中。女子師範学校の厳しい規律のもとで暮らす朝田のぶ(演:今田美桜)。一方、嵩(演:北村匠海)は、東京高等芸術学校に入学し、「自由」を掲げた教育と刺激的な“銀ブラ”を満喫する日々を送っていた。下宿先には同級生の辛島健太郎(演:高橋文哉)が転がり込んできたが、史実ではこの下宿をやなせたかし氏の実母・登喜子さんが営んでいたというのだ。今回は母子の別離と再会を追う。


 

■3度目の再婚相手との死別と息子との再会

 

 やなせたかし氏(本名:柳瀬 嵩)の実母は、登喜子さんという。父・清さんとは同郷で、2度目の結婚をして嵩さんと弟の千尋さんをもうけた。

 

 清さんを病で失ってからは、千尋さんを清さんの兄・寛さんのもとへ養子に出し、嵩さんが小学校2年生になるまで共に暮らしていた。登喜子さんの母・鐵さんも一緒だったという。

 

 嵩さんが小学校2年生になった頃、再婚話が持ち上がり、登喜子さんは東京在住の官僚だった男性と3度目の結婚を決意。相手に既に子がいたこともあってか、登喜子さんは嵩さんを寛さん夫妻に預けることにした。やなせたかし氏自身は後年、著書『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)において、「嵩はしばらくここで暮らすんですよ。病気があるから、伯父さんに治してもらいなさい」という旨の言葉を残して去っていったということを明かしている。

 

 さて、それで母子の縁が切れたかというと、そうではなかった。登喜子さんは3度目の結婚相手だった男性にも先立たれ、遺された家に住んでいたという。死別した時期は明言されていないが、やなせたかし氏は先述の著書の中で、登喜子さんが東京の世田谷区大原町という場所に住んでいたこと、そして、その近くに叔父・正周さん(寛さんと清さんの末弟)が勤めていたということを書き残している。

 

 嵩さん自身は、旧制専門学校・東京高等工芸学校の図案科(現在の千葉大学工学部)に進学。1921年に創立されたこの学校は、当時東京府東京市芝区(現在の東京都港区)にあった。高知から上京した嵩さんは下宿生活を始める。高知新聞社『やなせたかし はじまりの物語:最愛の妻 暢さんとの歩み』によると、登喜子さんは再婚相手の死後に下宿を営むようになっており、嵩さんはそこで暮らすようになったという。つまり、母子が約10年ぶりに共に生活するようになったことになる。

 

 実母に生活を支えられながらおくった学生生活は、嵩さんにとって幼い頃に失ってしまった「母の愛」を身近に感じ、思春期に抱いていた弟・千尋さんへのコンプレックスや養父母への遠慮、何よりそれまでの寂しさを埋めるようなものになったのかもしれない。

イメージ/イラストAC

<参考>

■高知市広報「あかるいまち」2016年10月号

■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)

■門田隆将『慟哭の海峡』(角川書店)

■高知新聞社編『やなせたかし はじまりの物語: 最愛の妻 暢さんとの歩み』

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