江戸の女を快楽に導く性具「生物(なまもの・いきもの)」【江戸の性語辞典】
江戸時代の性語60
江戸で話されていた色事、性事に関する言葉を紹介。今とは異なる言葉での表現は知れば知るほど、興味が深まる言葉ばかり。江戸時代と現代の違いを楽しめる発見がある。
■生物(なまもの・いきもの)
「なまもの」と「いきもの」の、ふた通りの読み方があるが、意味は陰茎のこと。
とくに、疑似陰茎である張形に対応する言い方でもあった。

【図】指と生物を駆使して(『艶道日夜女宝記』月岡雪鼎、明和元年頃、国際日本文化研究センター蔵)
(用例)
①春本『和楽色納戸』(西川祐信、享保二年)
欲求不満の娘に、女中が張形で慰めてやる。娘はしみじみ言う。
「痛いやら、気味のよいやら、身内がぞくぞくとして、消えていくような。似せものでさえ、これじゃもの。真物(まもの)のときは、何と、ようあろうぞ」
張形に対して、ここでは「真物」と言っている。本物の陰茎と言う意味であろう。
②春本『西川筆の海』(西川祐信)
女は処女だが、それまで春画を見て自慰ばかりしていた。そんな女を、男が破瓜する場面。
もはや堪忍ならず、そろそろと、あしらいかかれば、いまだ生物(いきもの)は通らぬ玉門ながら、かねてその事のみ思い暮らし給うゆえ、熟せし木の実をつぶすがごとく、ぬらぬらと入れば、
「生物」は陰茎のことである。
熟した果実をつぶすよう、という形容が生々しい。
③春本『艶道日夜女宝記』(月岡雪鼎、明和元年頃)
男が女三人を同時に相手にする方法について。
三人の女を並べ、一時に交合の思いをさせんには、中なる女は生物(いきもの)にて行うゆえ、腰使うばかりにて心をこめず。左右の女は指にてもっぱら術を尽くして行うべし。
上の【図】は、左右の女には指、中央の女には生物を用いているところである。
④春本『浮世源氏五十四帖』(恋川笑山、文久年間)
まだ若い奥女中が、男と初めて情交する。
娘は生もの初めてながら、奥勤めの常として、張形にて様子を知れば、まんざら生娘のあらばちのようでもなく、陰茎もさほどまで骨折らずに、ぬっと入る。
処女ながら、すでに張形で経験していた。
⑤春本『釈花八粧矢的文庫』(恋川笑山、安政六年)
おぼこは十三歳だが、すでに男を知っていた。
おぼこと言える小娘の、まだ十三の色づきそめ、生ものほしき年ごろなれば、
十三歳で陰茎がほしいというのだから、早熟である。
[『歴史人』電子版]
歴史人 大人の歴史学び直しシリーズvol.4
永井義男著 「江戸の遊郭」
現代でも地名として残る吉原を中心に、江戸時代の性風俗を紹介。町のラブホテルとして機能した「出合茶屋」や、非合法の風俗として人気を集めた「岡場所」などを現代に換算した料金相場とともに解説する。