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「ピラミッドは奴隷につくらせた」はウソだった!?

本当はおもしろい「古代エジプトの歴史」入門①


30代後半以上の方々は教科書でエジプトの「ピラミッド」とは周辺各地からつれてこられた奴隷に強制労働をさせてつくられたと学校で習ったのではないだろうか。しかし実態は大きく異なる。


 

■ピラミッドは高度な技術によって洗練された職人たちによってつくられた

 

紀元前3000年ごろに栄えたエジプト文明にはまだまだ秘められた謎が多く残されている。

 

 なぜエジプトのピラミッドは奴隷がつくったと考えらてきたのか、を振り返る。「歴史の父」と称される紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスが自著『歴史』のなかに「クフ王のピラミッドは、10万人の奴隷が20年間働いてつくった」と記して以来、それが周知の事実となり、世界の通説として流布したのである。少し前ならば、その影響でハリウッド映画などのピラミッド建造場面では、鞭を片手に重い石材を運ぶ人々を監視する役人や厳しい労働のために次々と倒れていく労働者たちが描かれ、ますますイメージを高めたものだった。

 

 特に3つのうち最大で、世界三大巨大墳墓のひとつであるクフ王(古代ギリシア語名ケオプス)のピラミッド(写真1)は、彼のために奴隷を中心とした強制労働でつくられたと考えられてきた。もちろん古代世界におけるマンパワーの重要性を否定するわけではないが、「ピラミッドは強制労働によって造られた」という点には疑問が呈されるべきであろう。しかしながら強制労働には限界がある。日々の不満の蓄積などから労働者たちによる反乱が発生することが容易に推測されるからだ。

 

(写真1)ギザの三大ピラミッド。そのなかでももっとも巨大なのがクフ王のものである。

 

 ではピラミッド建設が強制労働ではなかったとするならば、実態はどのようなものであったのであろうか。人が巨大な建造物の建設に積極的に従事する際には、大きく二つの理由が考えられるであろう。一つは宗教的熱狂が根底にある場合だ。信仰はその対象が特定の個人であれ、神であれ人を動かすものだからだ。古代エジプトの王は、飛び抜けた血筋や権力を保持する個人であり、同時に神々の一柱でもあった。その点を考慮するならば、古代エジプトの民が自らの意志で巨大な建造物である王墓の建造に積極的に携わっていたと考える方が理解し易い。ファラオを崇める一種のカルトが生み出したものがピラミッドであると考えることもできよう。超人であるファラオ信仰を可視化したものこそがピラミッドであったのかもしれない。

 

 しかし現実的にはそれだけであれほど巨大で精巧なものを建造できないとも思う。そこでもう一つの理由として、作業員に対する実際的な待遇の良さ、つまり賃金(物的利益)が高いこと、そして福利厚生面が充実していることが挙げられるであろう。実際にピラミッド建設の現場近くに作業員たちが寝泊まりできる長屋のような家屋が用意されており、パンやタマネギ、ニンニクなどの野菜、ビール、牛肉までもが国によって作業員たちに用意されていたことが発掘調査によって明らかにされている。

 

 そこで思い出されるのが、「ピラミッド公共事業説」と呼ばれている考え方だ。つまり、毎年夏にナイル河が広範囲に渡って氾濫する時期に、農作業ができなくて困っている農民たちにピラミッド建設という公共事業が生み出す仕事を与えることで、失業対策を施したのだという考え方である。一見すべてを上手く説明できるかのようなこの説は、200年近く前に物理学者クルト・メンデルスゾーンによって示された考え方だ(つまりかなり古い考え方である)。確かに農閑期に失業中の農民たちに生きる糧を提供するシステムには納得させられるものがある。

 

 しかし4500年を経過した今現在においても、ほぼ原形をそのまま残している完成度の極めて高いギザのピラミッドの建設作業の実態がどのようなものであったのかを想定してみると、農民が季節アルバイトで従事できる程、簡単なものではなかったと考えられるのだ。なぜならピラミッドとは、当時の世界最高の知識と技術、そしてそれを形にする組織力が不可欠であったはずだからである。

 

 エジプト内外から最高の人材が集められたことは間違いない。高度な建造物を設計できる建築家、高い技術を持つ職人たち、そして軍隊のごとく訓練された作業員たちが揃ってこそ、ピラミッドは建設することができたのである。古代世界の叡智の結晶こそが、ギザの三大ピラミッドなのである。決して農民たちが片手間でできるようなものではないはずだ。農閑期に仕事がなくて生活に困っている人々を公共事業で創り出した仕事を与えて救うことは、人道的な観点からはもちろん正しい政策なのであるが、当時のエジプトには当てはまらない。なぜなら何十年かに一度くらいは、ナイル河の水位が下がり、水不足などが原因で飢饉もあったであろうが、基本的にナイル河は常に豊かな水に恵まれ(写真2)、動植物で溢れかえっていたはずだ。農民たちは農閑期に無理して働く必要はなかったであろう。豊かな暮らしを送っていたのだ。毎日仕事がないと生活に困るのではないかという思考は、哀れな我々現代人の考え方に過ぎないのである。

 

(写真2)エジプトの豊かな暮らしと高度な技術はナイル川あってこそ。

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大城道則おおしろみちのり

駒澤大学文学部歴史学科

駒澤大学文学部歴史学科教授。関西大学大学院文学研究科史学専攻博士課程修了。英国バーミンガム大学大学院古代史・考古学科エジプト学専攻修了。エジプトをはじめシリアのパルミラ遺跡、イタリアのポンペイ遺跡などで発掘調査に携わる。おもな著書に『古代エジプト文明〜世界史の源流』(講談社)、『古代エジプト死者からの声』(河出書房新社)、『図説ピラミッドの歴史』(河出書房新社)『神々と人間のエジプト神話:魔法・冒険・復讐の物語』(吉川弘文館)ほか多数。

 

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