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戦国一の鉄砲集団「雑賀衆」と戦国最強の海賊「村上海賊」はつながっていた⁉

戦国レジェンド②


戦国一の鉄砲集団「雑賀衆」と戦国最強の海賊「村上海賊」は実は古くからつながりあったという。ともに戦国を席巻した2つの組織はどのようにつながりをもっていたのだろうか?


 

■海でつながった日本最強タッグ!鉄砲と水軍で戦国を席巻

 

因島水軍城
南北朝時代から室町時代にかけて活躍した村上水軍の武具、遺品、古文書などの歴史資料を残す城型資料館。

 

 天下統一目前の織田信長と10年におよび抗った本願寺勢力が激突した「木津川口の戦い」。実はこの2度にわたる海戦は雑賀(さいか)水軍と村上水軍の協働で行われている。

 

 第1次では村上水軍ほかの毛利水軍は瀬戸内海を東上して大坂湾を南下。和泉国の貝塚で雑賀水軍と合流して大船団を形成して木津川口に向かい、織田水軍を撃破した。毛利方の面々は雑賀水軍の協力ぶりを「比類無き尽力」と誉めたたえたという。第2次では信長の鉄甲船などが伊勢大湊から紀伊半島をグルリと回って大坂湾に進んで行くのを、まず雑賀沖から雑賀水軍が邀撃。和泉国淡輪(たんのわ)の沖合で戦闘に入った。無数の小船に乗った雑賀水軍は織田方の大船を包囲し火矢や鉄砲を浴びせたが敵の装甲を破れず、かえって大鉄砲・大筒によってあっけなく撃破されてしまった。

 

 雑賀水軍が戦力を削いでおけなかった事で、毛利水軍も織田水軍に完膚なきまでに破られる羽目になったのである。

 

鈴木孫一
「鈴木孫一」は雑賀衆の棟梁が引き継ぎ名乗った名で、この絵は戦国時代に信長と戦った雑賀衆の棟梁であった「孫一」とされる。(東京都立中央図書館蔵)

 

 そもそも、雑賀衆と村上水軍は長い縁で繋がっていた。既述の様に雑賀衆は紀ノ川河口周辺だけでなく薩摩や中国大陸との海上交易ルートを持って活動していたのだが、当然このルートは瀬戸内海であり、村上水軍の縄張りを通航する。その折りに雑賀衆の向井弾右衛門尉が村上水軍に通航許可を求めて与えられた「過所旗(過所船旗)」が国の重要文化財として現存している。

 

 この向井氏ら、雑賀衆の交易を担う者たちによって輸入硝石なども雑賀に持ち込まれ、火薬の材料となったと考えれば、村上水軍との関係は雑賀衆による大量の鉄砲の運用を可能とする、命綱の様なものであったろう。とにかく、弾薬が無ければ鉄砲などただの棍棒にしかならないのだから。

 

 また、仮に雑賀衆が自家製ではなく堺の鉄砲(堺は商業だけでなく、豪商の今井宗久(いまいそうきゅう)などによって奨励された鉄砲の一大生産地でもあった)も仕入れていたとすれば、その搬送にも海路が用いられたと考えられることができる。

 

監修・文/橋場日明

歴史人2023年3月号「戦国レジェンド」より

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