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江戸の疫癘防除~疫神社の謎⑨~

疱瘡を蔓延させない、捩じ伏せられる力を備えた社とは?

固有の名前を持っていない疱瘡神(ほうそうがみ)の神々と英雄

 

坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が宇佐八幡宮の分霊を勧請した武蔵野八幡宮 写真/稲生達朗

 山王稲穂(さんのういなほ)神社(小金井市)の疱瘡神社には昇段つきの殿舎が建てられていて、鳥居には扁額(へんがく)も掲げられ、祭神も明確にされている。

 

 国造りの神、大己貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)だ。

 

 大己貴命という名は大国主命の別名で、庶民には大黒様として親しまれている。ふた柱とも医薬の神とされるが、なんとなく妙だ。

(疱瘡神は祀られていないんだろうか、ふた柱が疱瘡神と見做[みな]されるんだろうか?)

 

 素朴に、そんな疑問をおぼえた。

 

 疱瘡をもたらす疫神を神に擬えて社に封じ込め、祟られないように拝み続けるのが疱瘡神社だとおもっていたけど、どうやらそれだけではないらしい。疱瘡を蔓延させないよう、疱瘡神を捩じ伏せられるだけのちからを備えた神々を祀る社もまた、疱瘡神社なのだ。

 

(待てよ。そもそも疱瘡神って、固有の名前を持っていないんじゃないか?)

 

 歴史上、疫病をもたらす怨霊がそのまま疱瘡神にされてしまったことはなかった。

 

(なるほど。疱瘡神も疱瘡神社も、ずいぶんと間口が広いんだね)

 

 解釈として正しいかどうかは擱(お)いておいて、ほかに疱瘡神社はないか。
(そういえば、吉祥寺と立川にもあったな)

 

京都・清水寺田村堂に祀られる坂上田村麻呂の木像模写『集古十種. 古画肖像之部 上』/国立国会図書館蔵

 

 

坂上田村麻呂は宇佐八幡宮の分霊を武蔵の国に勧請

 

 人間の目というのはほんとうに不思議なもので、旅行や散歩をしていてありとあらゆるものを見ているはずなんだけど、すこし時間が経つとあらかた忘れてしまう。ところが、あるとき、ふわりと脳裏に蘇ってくる。

 

 北多摩に点在している疱瘡神社も、そうした光景のかけらだった。

 

(こうなったら、そのあたりの社を廻ってみるしかないじゃん)

 

 見えぬ何者かに誘われるような、ふしぎな探索が始まっている。

 

 脳裏にふわりと蘇ってきたのは、散歩の途中で立ち寄ったことのあるふたつの神社だった。

 

 吉祥寺の武蔵野八幡宮と、立川の諏訪神社だ。どちらも疱瘡神社があったような気がした。いや、見かけたような憶えがある。

 

(どちらを先に行こうか)

 

 吉祥寺にした。

 

 ちょっとだけ近いっていう安易な理由からで、深い意味はない。

 

 武蔵野八幡宮の創建は、凄まじく古い。延暦(えんりゃく)8年、坂上田村麻呂が宇佐八幡宮の分霊を勧請したと伝えられる。延暦寺創建の翌年にして、桓武(かんむ)天皇が平安京を開く5年前にあたる。征夷大将軍に任命される8年前のことで、蝦夷(えぞ)征討の途に出なければならない気負いが武蔵国に八幡神を祀らせたとおもわれる。

 

蝦夷征討の途に出なければならない田村麻呂の気負いが武蔵国に八幡神を祀らせた 写真/稲生達朗

 

(次回に続く)

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過去記事

秋月達郎あきづき たつろう

作家。歴史小説をはじめ、探偵小説から幻想小説と分野は多岐にわたる。主な作品に『信長海王伝』シリーズ(歴史群像新書)、『京都丸竹夷殺人物語: 民俗学者 竹之内春彦の事件簿』(新潮文庫)、『真田幸村の生涯』(PHP研究所)、『海の翼』(新人物文庫)、『マルタの碑―日本海軍地中海を制す』(祥伝社文庫)など

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