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江戸の疫癘防除~疫神社の謎⑧~

開墾の際、勧請された武蔵野の山王社にも疫社があった!

江戸開府の50年後、下小金井村を開墾の際、勧請された山王稲穂神社

下小金井村開墾の際、麹町の山王社より勧請された山王稲穂神社(小金井市)

 この国は、疫病は疫神の祟りだとして、その災禍を免れるために社を建てて祀る。

 

 要するに疫神の機嫌をなだめ、疫病の蔓延を防ごうとしてきた。そうした社を、疫神社という。

 

 ただ、日本人がいちばん恐れたのは天然痘だったものだから、厄神社の中でもいわば別建てにして疱瘡神社を建立した。疱瘡社や疱瘡稲荷という社もあるが、これらは呼び方が異なるだけで、ほぼ同じ内実と捉えていい。

 

 その疱瘡神社が、ひょんなことから、ぼくの脳裏で膨れ上がっている。

 

(行ってみるか)

 

 まずは、布多天神社から見て北西、山王稲穂神社を参詣した。

 

 社は、武蔵小金井駅から小金井公園へ向かう道の途中にある。祭神は、大山咋命。

 

 江戸が開府されて50年の後、下小金井村を開墾するにあたり、麹町の山王社より勧請(かんじょう)して創祀(そうし)したという。当時は山王権現と呼ばれていたようで、維新の後、神仏分離がなされてから稲穂神社と改められた。山王という名称が冠せられるのは、通称らしい。

 

 山王宮の分霊とされるから近江国の日枝神社が総本社なのだろうけれど、ぼくは察しが悪いのか、石造りの明神鳥居をくぐったとき、それに気がつかなかった。

明神鳥居の上部に三角形の破風(屋根)が乗る通常の山王鳥居でない山王宮鳥居

 疱瘡神社は本殿に向かって右手、ふたつ並んだ境内社のひとつとなっている。もうひとつは稲荷社だ。稲荷神社と疱瘡神社は並んで鎮座していることが多いが、その背景については後に触れる。

 

 ただ、実をいうと、この疱瘡神社は以前にも訪れ、よく憶えていた。理由がある。そもそも、疱瘡神社は摂社あるいは末社として扱われることが多く、ときには他の神社と合祀されていたり、社殿もなく塔だけだったりするのだが、こちらはそうではない。

 

(やっぱり、立派だな)

 

 初めて参詣したときも、ここまで堂々とした疱瘡神社は珍しいと思った。

堂々と独立し合祀もされていない疱瘡神社(山王稲穂神社内)

(次回に続く)

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過去記事

秋月達郎あきづき たつろう

作家。歴史小説をはじめ、探偵小説から幻想小説と分野は多岐にわたる。主な作品に『信長海王伝』シリーズ(歴史群像新書)、『京都丸竹夷殺人物語: 民俗学者 竹之内春彦の事件簿』(新潮文庫)、『真田幸村の生涯』(PHP研究所)、『海の翼』(新人物文庫)、『マルタの碑―日本海軍地中海を制す』(祥伝社文庫)など

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