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江戸の疫癘防除(えきれいぼうじょ)~疫神社の謎③~

蔵王・熊野・愛宕・飯縄…権現諸神に祈る

富士講や熊野詣の先達となり病魔退散を仕切る山伏

山伏の祖・吉野山の役小角(えんのおずぬ)像

 山伏は、蔵王(ざおう)・熊野・愛宕(あたご)・飯縄(いいづな)などの権現を守り本尊とし、手には錫杖(しゃくじょう)、頭に兜巾(ときん)、八目(やつめ)の草鞋(わらんじ)に、結袈裟の梵天、構えた破魔矢(はまや)を虚空に放ち、護摩木を焚いて問答し、疫癘防除を祈祷する。九字を切り、印を結び、陀羅尼(だらに)を唱え、病魔退散の法楽(ほうらく)を仕切る。

 

 もっとも、多摩の民草が、かれらを恃(たの)むことは滅多になかったろう。

 

 山伏は、富士講や熊野詣の先達となったり、聖護院(しょうごいん)門跡や醍醐寺(だいごじ)三宝院などに寄宿したり、常にこの国の山岳を走破して修験道に勤しんでいる。そこらの田舎に定住しているわけではない。

 

 けれど、山伏がいようといまいと疫病は蔓延する。ならば、疫癘防除の火焚きは催さなければならない。流行り病に斃れてゆく親しい者たちのために村人らはちからをふりしぼり、山伏の代わりとなって加持祈祷を行なっていたことだろう。

 

 だからこそ、かれらの祈りは比べようもないほど純朴で、北多摩の半分を占める大三角の地に、天から降ってきたかのような北斗七星を、炎によって現出させることができたのかもしれない。

 

 とはいえ――。

 

 ここに繰り広げられる幻想めいた光景が、真実だったか否かはわからない。わからないが、もしかしたら、こうした星祭りにも似た疫病封じの火焚きが為されていたのではないか。そうおもわせる発見について、すこしばかり、記しておきたい。

 

 人は、気まぐれである。

 

 医療や医薬品を頼ったかとおもえばあっさり捨て去り、神仏に縋って参拝し、賽銭を投げて祈ることで魔を封じ込め、御守を買い求めることで病を防ごうとする。ところが、まったく現金なもので、身の回りに疾病が蔓延し、おのが身に不安を覚え、病の症状のかけらでも出ようものなら、手当たり次第に病院へ駈け込み、医師に拝み始める。しかし、医者や看護師らによる懸命な処置を受ける中、心に想い浮かべて願い続けるのは神仏だったりする。そんな人間臭さは、過去も現代もほとんど変わらない。

 

 実に、気まぐれである。

 

 そう、いつの頃からか、日本人は、信じているのかいないのかよくわからないという、きわめて曖昧な信仰を持ち続けてきた。そうした「苦しいときの神頼み」は、21世紀になっても、令和の御世になっても、尚、細胞の端の端にまで沁み込んでいる。

 

 ただ、江戸の頃、ここにいう神頼みは、現代人が想い描くよりも遙かに濃厚で、純粋で、素朴であったといっていい。その証が、病魔退散を願う御札や護符、そして各地に建立されてきた小さな祠(ほこら)、あるいは慎ましい小堂などではなかったろうか。

 

 ここにいう不思議な発見の端緒もまた、そうした石祠(せきし)だった。

 

 卯の花の匂い立つ、夏の初めの或る日のことである。

山伏修行の出で立ちの阿含宗の星祭の風景

(次回に続く)

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秋月達郎あきづき たつろう

作家。歴史小説をはじめ、探偵小説から幻想小説と分野は多岐にわたる。主な作品に『信長海王伝』シリーズ(歴史群像新書)、『京都丸竹夷殺人物語: 民俗学者 竹之内春彦の事件簿』(新潮文庫)、『真田幸村の生涯』(PHP研究所)、『海の翼』(新人物文庫)、『マルタの碑―日本海軍地中海を制す』(祥伝社文庫)など

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