江戸の疫癘防除~疫神社の謎②~
星を焚く
火焚きを通じて神仏に疫病の収束を祈る
この火焚きは、季節を問わない。
月次祭でもなければ、例大祭でもない、きわめて稀なものだった。なぜなら、ひたひたと忍び寄ってくる疫病を押し止め、かつ防ぐための火焚きだからである。ちなみに、そこにいう疫病だが、当時、ひとびとの多くは「えやみ」と呼んだ。疫癘(えきれい)ともいうが、医学的には熱性伝染病、あるいは外科性感染症とでもいうのだろう。
簡単にいえば、流行り病である。
とはいえ、とてつもなく恐ろしい流行り病で、ひとびとは江戸期を通じて幾たびも苦しめられた。その苦しさは、病による身そのものの辛さだけではなく、身近な者の死という別離の悲しさもまた含まれる。
ひとびとは、そうした辛苦悲哀を味わわずに済むよう、なんとかして疫病の広がりを食い止めようとした。しかし、疫病はいったん流行り出したら、なかなか熄まない。まるで蔓(つたかずら)がそこらじゅうへ延びてゆくようにじわじわと、しかし確実に広がってゆく。
それを食い止めなければならない。
あらがい、ふせぎ、ねじ伏せねばならない。
〝火焚きじゃ〟
と、村人のひとりが声をあげた。
〝火焚きをし、天地をつかさどられる神仏にお祈りして、疫癘を防ぐだあよ〟
ひとびとは、輝きはなつ星々を天にまします神仏に見立て、それを大きな篝火によって大地に描き、降臨をうながし、疫癘を防除できるだけのちからを授けてほしいと願った。そうした火焚き祭である。
である以上、常のような襤褸(ぼろ)をまとっているわけにはいかない。紬や絹などといった上等なものはなかったが、麻でも綿でもとにかく赤っぽい端切れを集め、反物に縫い、衣や袴に仕立て、頭巾や福面を作り、身のすべてを赤で包んで、紅蓮の炎と向き合った。
時に、そうしたひとびとの前に出て、炎に対峙してゆく屈強な衆がいる。
役小角(えんのおづぬ)を祖と仰ぎ、白装束に身を包み込んだ修験者、いわゆる山伏である。
(次回に続く)