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蒼空を飛翔する「巨人」、メッサーシュミットMe321ギガント(ドイツ)

第2次大戦グライダー物語 第6回 ~空飛ぶ精鋭部隊を運ぶ沈黙の輸送機~

飛行性能と安全性に優れた大型機

ハインケルHe111Zツヴィリング(「ふたご座」の意)に曳航されて離陸するメッサーシュミットMe321ギガント(「巨人」の意)。前者の主翼の中央部には5基目のエンジンが見える。また、後者はこの場合は車輪を脱落させずに飛行する構えのようだ。

 第二次大戦の緒戦、すなわちポーランド戦、北欧戦、バルカン戦、フランス戦などにおいて連勝を経験したドイツは、奇襲部隊としての降下猟兵の価値を十分に理解していた。

 

 そのような状況下、より短時間でより大量の兵員や兵器、より重い兵器を空輸する手段が模索された。案としては超大型輸送機も考えられたが、奇襲を試みる敵地にそのような大型機の発着が可能な飛行場が存在する可能性はほとんどない。だが、最悪の場合は往路だけで復路を考えない片道運航と割り切れば、大型グライダーを用いるという手もある。

 

 そこでドイツ空軍は、大型グライダーの開発をメッサーシュミット社とユンカース社に依頼した。その結果、採用されたのはメッサーシュミット社案で、当初はMe263の型番を付与されていたが、後にMe321へと変更された。

 

 機体構造は、鋼管フレーム(部分的に木製)に羽布を張ったもので、生産の容易化と重量の軽減を兼ねた一石二鳥のものだった。脚は脱着式で、必要に応じて投棄でき、その場合は機体下面に備えられた橇(そり)で滑り込み着陸をした。機首部分は全体が観音開きになっており、ここから車両や重量物の搭・下載を素早く行えた。

 

 乗員は2名(後に3名)だが、全長28.15m、全幅55m、全高10.15mというサイズは、数年後に登場する当時の大型4発重爆撃機B-29よりも全長が約2m短いだけで、全幅も全高も本機が凌駕していた。もちろん搭載重量も大きく、完全武装の兵員130名、または最大23tまでの物資の搭載が可能であった。

 1941年2月25日の初飛行の結果、手動では動翼系の作動が重いとの判断により、補助動力として電動サーボモーターが追加装備された。

 

 だが最大の問題は、満載の本機を単機で曳航できる機体が、当時のドイツにはごく少なかったことだ。そのため、当初はメッサーシュミットBf110双発戦闘機が3機で本機を曳航するトロイカ曳航が行われたが、複数の機体で単機のグライダーを曳航するのは難しく、事故が多発した。

 

 この問題の解決を依頼された航空機設計者であるエルンスト・ハインケルは、アズ・スーン、アズ、ポッシブルの要求と判断した。そこで既存の同社製He111双発爆撃機2機を左右の主翼部分でつなぎ、その接合部に5基目のエンジンを装着したHe111Zツヴァィリングを開発。以降の曳航に供した。

 

 本機はイタリア本土から北アフリカへの物資空輸などに用いられたが、実用化された時期にドイツが守勢に回りつつあったため、侵攻兵器としての要素が強いグライダーである本機の活躍の場は意外に少なかった。

 

 なお、本機にフランス製ノーム・ローヌ空冷エンジン6基を架装して自力飛行を可能とした、モーターグライダーのMe323も生産されている。

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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