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“レッド・デビル(赤い悪魔)”を運んだエアスピード・ホーサ(イギリス)

第2次大戦グライダー物語 第2回 ~空飛ぶ精鋭部隊を運ぶ沈黙の輸送機~

イギリス軍の強襲を後押しした傑作グライダー

曳航されて飛行中のエアスピード・ホーサ強襲グライダー。夜間の敵地侵入時に発見されにくくするため、機体下面は黒で塗装されている。

 第二次大戦が勃発すると、ドイツは降下猟兵(空挺兵)を実戦に投入して成果をあげた。これを知ったイギリスも、急ぎ空挺部隊を創設。そして天馬ペガサスにうち跨ったコリントの勇者ベレラファンの姿が部隊標識とされ、空挺兵はそのシンボルとして、マルーン(海老茶色)のベレーを被った。

 

 精鋭で勇猛果敢に戦ったため、空挺兵はベレーの色にちなんで、いつしか“レッド・デビル(赤い悪魔)”と呼ばれるようになったが、パラシュート兵だけでなく、グライダー兵も同じ空挺兵“レッド・デビル”として扱われた。

 

 このグライダー兵を空輸するためにイギリスが開発した、当時世界最優秀といってもよい強襲グライダーであり、第二次大戦でもっとも活躍したグライダーが、エアスピード・ホーサである。

 

 興味深いのは、当初、ホーサは乗っているパラシュート兵を降下させるグライダーとして考えられ、強行着陸を行う強襲グライダーは二義的な運用方法とされていたが、途中で空挺部隊のドクトリンが変更され、本機の主任務は強行着陸となった。

 

 エアスピード社の航空機設計技師アルフレッド・ヘッセル・ティルトマンが設計したホーサの主用部材は木材で、きわめて操縦しやすかった。

 

 パイロットとコパイロット(副操縦士)の他に完全武装のグライダー兵28名が搭乗できるが、貨物としてはジープ2両またはジープ1両と75mm空挺榴弾砲1門、あるいは6ポンド対戦車砲1門などを搭載することもできた。

 

 ホーサの初陣は、19421119日深夜に決行された、ノルウェーにおけるドイツの原爆用重水製造施設の破壊を目的とした「フレッシュマン」作戦だったが、作戦自体は失敗に帰した。

 

 その後、シチリア島侵攻作戦「ハスキー」や、かのノルマンディー上陸作戦「オーヴァーロード」の空挺作戦パート、「マーケット・ガーデン」作戦やライン川渡河の「ヴァーシティー」作戦などで重宝された。

 

 ところが、大戦後半になるとグライダー・パイロットが不足し、各ホーサにコパイロットを配置する余裕がなくなってしまった。そこでグライダー兵の中で操縦の素質がありそうな人材を選択し、各機のパイロットが指導して、コパイロット席に座らせ補助パイロットのようなことをさせた。

 

 その結果、実戦において対空砲火などでパイロットが戦死したり負傷したりする状況下で、この正規のパイロット訓練を受けていない補助パイロットがホーサを操縦して見事に強行着陸させたケースが頻発したが、これこそが、いかに本機が操縦しやすいグライダーかを端的に示す証左といえよう。

 

 なお、ホーサは3600機以上が生産されたが、これは強襲グライダーとしてはかなり多い数字で、それだけ有用な機体だったといえる。

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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