90式野砲(日本):大砲の開発に遅れをとった日本が採用したフランス生まれの優秀野砲
第二次大戦野砲物語 第4回 ~味方の窮地を救う、空から降り注ぐ砲弾の鉄槌~
海外列強にサイズで劣りながらも終戦まで奮戦

開脚状態で大仰角射撃姿勢をとる90式野砲。後に自動車で牽引するため車輪がゴムタイヤとなり車軸にサスペンションが備えられた機動90式野砲も実用化された。
第一次大戦前から日本陸軍の主力野砲の口径は75mmだったが、同大戦終了後、それまで使用していた38式野砲の陳腐化が目立った。そこで同砲を改良した改造38式野砲を開発する一方で、新型野砲の開発が急務となった。
しかし、当時の日本の火砲技術では、新しい野砲のゼロからの開発は困難だった。そこでヨーロッパ列強の雄、当時は兵器先進国だったフランスに、その範を求めることが決まった。
こうして白羽の矢が立てられたのが、火砲の名門メーカーとして知られるシュナイダー社が開発した75mm野砲だった。同砲は第一次大戦でも使用されており、同名のカクテルで有名になった“フレンチ75”ことフランス国営造兵廠製の75mm野砲M1897とは、砲弾と薬莢に互換性があった。
陸軍は当初、このシュナイダー75mm砲をベースにして日本独自の新しい75mm野砲を開発する予定だった。しかし当時、世界最先端ともいえる同砲なら、一部を日本向けアレンジにすればそのまま採用できると判断され、その結果、1932年に90式野砲として制式化された。
アメリカ、ドイツ、イギリスなどの列強各国では、1930年代末になると野砲はより大口径、大威力、長射程の100mm級となっており、それよりも一回り小さい75mm砲は、戦車などの車載砲として扱われつつあった。
だが日本陸軍では、75mm級の砲を搭載可能な戦車の登場が大戦後期まで遅れてしまった。もちろんその車載砲には90式野砲の改修型が用いられたが、時期的にはすでに威力不足であった。
90式野砲は、その名のごとく本来は野砲である。しかし太平洋戦争が始まると、アメリカのM3スチュワート軽戦車やM3リー/グラント中戦車、M4シャーマン中戦車との対戦車戦闘に投入されることも少なくなかった。相応の威力があったため、不足していた1式機動47mm速射砲(対戦車砲)の代用として奮戦したのだ。
苦肉の策とはいえ、90式野砲は確かに有能な「対戦車砲」となった。だがその結果、日本軍にとっては貴重な野砲が失われることも稀ではなかった。
結局、列強では大戦初期の時点で、すでに威力と射程の面で主力野砲としての座を降りた75mm級の90式野砲ではあったが、日本陸軍では終戦まで主力野砲の座にあった。