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その名は「解放者」―B24

蒼空の破壊者・アメリカ4発重爆撃機 第2回 ~ドイツを焦土と化し日本に核を投下した「空飛ぶ悪夢」~

■その名は「解放者」―B24

B-24M

飛行中のB-24M。ご覧のようにB-24シリーズは双垂直尾翼を備える。同じ4発重爆撃機ながらB-17とはかなり異なったデザイン・コンセプトに基づいて設計されていることがよくわかる。

 ボーイングB-17フライングフォートレス(「空飛ぶ要塞」―B17:2020年03月25日配信)は優れた4発重爆撃機だったが、雄一の弱点が、航続距離がやや短いことだった。実は爆弾搭載量と燃料搭載量はある程度トレードオフできるものだが、アメリカ陸軍航空軍は、よりいっそう航続距離が長い新型の4発重爆撃機を求めた。

 

 そこでコンソリデーテッド社にオファーし、1939年12月29日、XB-24が初飛行をはたした。この時、すでにヨーロッパでは第2次世界大戦が始まっており、アメリカもいつ戦火に巻き込まれるかわからない危機的状況下での本機の登場は、まことにタイムリーと言えた。かような事情から、同社はB-24生産専用工場を建設するなどして傘下の3工場を動員したがそれだけでは足りず、資本のつながりがない別会社のフォード社とノースアメリカン社の2社も、それぞれ1工場ずつを割いてB-24を生産することになった。

 

 B-24には大きな特徴が三つあるが、これらは4発重爆撃機にとって必須ともいえる重要項目だった。

 

 まずひとつは、航続距離増加のため比較的幅が狭く細長い主翼を採用したこと。この主翼は同社が特許を持つデイビス型という翼型で、高い揚力が得られるうえ内部に大容量の燃料タンクが収納可能な便利な形状であった。

 

 二つめは、胴体の正面断面形が角を丸めた縦長の長方形であること。この形状は、空気抵抗では今一つながら、機内容積が広くとれるため、大量の爆弾のみならず「何かを積む」こと全般に向いており、やがてC-87というB-24の輸送機型が誕生することになった。

 

 三つめは、世界で初めて前車輪式を採用した4発機であること。本機以降はそれが当たり前になったが、それ以前のB-17やフォッケウルフFw200コンドルといった4発機はみな尾輪式だった。なお、前輪式の方が離着陸が容易になる傾向があった。

 

 とはいえ、この三つの特徴はすべて長所というわけではなく、実は背中合わせで短所もはらんでいた。例えば、幅が狭く飛行中強い揚力がかかっている主翼は、高射砲弾や大口径機関砲弾などを被弾すると、翼幅が広いB-17なら折れずに飛び続けられるが、B-24ではボキ折れてしまうことが間々あった。

 

 胴体の正面断面形のせいで、B-24は一般的な外開き式爆弾倉扉ではなくローラーシャッター式の爆弾倉扉を備えていたが、爆弾倉のある胴体下面は不時着水時には真っ先に接水するため、強烈な水圧を受けてローラーシャッターがたやすく破られてしまい、爆弾倉内に激しい勢いで流れ込む海水の力で胴体が破裂することも多かった。このような事態を避けるべく、洋上飛行をするB-24には、爆弾倉扉のつっかえ棒になる補強材が必ず積み込まれていた。

 

 このような事情から、リベレーター(「解放者」の意)の愛称を付与されたB-24は、B-17に比べると戦闘損傷に弱く、「空飛ぶ棺桶」とか「乗員一掃機」といった縁起でもない渾名で呼ばれた。とはいえ、航続距離の長さと爆弾搭載量の多さから、戦略爆撃機としてのみならず超長距離対潜哨戒機としても大活躍し、その欠点よりも「万能の4発馬車馬」としての長所に対する評価のほうが高かった。そのため、最終的に約18500機という、4発機にもかかわらず第二次大戦中の最多生産数を誇るアメリカ製航空機となった。

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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