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その名は「空飛ぶ要塞」―B17

蒼空の破壊者・アメリカ4発重爆撃機 第1回 ~ドイツを焦土と化し日本に核を投下した「空飛ぶ悪夢」~

■その名は「空飛ぶ要塞」空飛ぶ要塞―B17

B-17

機首を完全に吹き飛ばされたにもかかわらず無事基地に帰還したB-17G型。B-17シリーズは他機種では確実に墜落するような大損傷を被っても、安定した飛行性能のおかげで生還できるケースが多く、搭乗員たちは信頼と愛情を込めてB-17を「クイーン」と呼んだ。

 日本ではボーイングB-29スーパーフォートレスが圧倒的に有名だが、実はアメリカでは、同じボーイング社のB-17フライングフォートレスの方が人気が高い。ゆえに現在も飛行可能な機体はB-17の方が圧倒的に多い。

 

 実はB-17の原型機であるボーイング・モデル299は、明確な方針や使用目的があって生み出された航空機ではなく、時流により誕生したというのが正解であった。きっかけは、今日「アメリカ軍事航空の父」と称されるウィリアム“ビリー”ミッチェルにある。陸軍の飛行士官だった彼は、将来的な航空機の可能性について伝道師のような役割を務めており、1920年代初頭、それまで不可能とされていた航空機による主力艦(戦艦や巡洋艦)撃沈を、実験によって実証した。

 

 ところがあまりに軍事航空の発展を熱心に説いたせいで軍法会議にかけられ、1926年に退役した。だがビリーの薫陶を受けた陸軍飛行士官たちは、新型爆撃機の調達を望んだ。しかし予算は限られており、議会などは保守的な機体を求めた。

 

 こういった時流のなかで、ボーイング社は1934年5月14日に陸軍航空隊プロジェクト「A」による4発巨人爆撃機XB-15の開発契約を締結。さらに8月8日には、当時の主力多発爆撃機マーチンB-10の後継機を選出するトライアルに参加。要求性能仕様書によれば、多発で乗員4~6名、最高速度200マイル、2000ポンドの爆弾を搭載して1000マイルの航続距離が求められており、最高速度250マイル、航続距離2200マイルが得られればなおよいという付帯条項が添えられ、試作機の納入期限は1935年8月であった。

 

 この性能は、当時の水準としてはハードルが高く、しかも1年以内の完成を求める厳しいものだった。そこでボーイング社社長クレア・エグタベットは仕様書の「多発」という言葉に着目。B-10は双発で、当時は多発といえばまずは双発と思う流れがあったが、4発ではだめなのか。彼はトライアルの技術担当士官ハワード少佐に確認したところ、彼は笑みを浮かべながら「多発は多発ですよ」と言った。こうしてモデル299が誕生したのである。

 

 ところが1935年10月30日、モデル299は不慮の墜落事故を起こし、ダグラス社のXB-18が採用された。この結果、資金をすべて注ぎ込んでいたボーイング社は、倒産の危機に見舞われることになった。だが、「ビリーの後輩たち」はモデル299の素晴らしさを理解しており、彼らの尽力によって同機は1936年1月、Y1B-17として復活。やがて正式にB-17となり、第二次大戦が勃発すると、ドイツ本土戦略爆撃という「伝説の重爆撃機物語」の主人公となって行くのだ。

 

 なお、B-17シリーズには「フライングフォートレス(空飛ぶ要塞)」という愛称が付けられた。一部には、この愛称は同機の重防御に由来するという説もあるがそれは間違いで、アメリカへの侵略を企む敵の艦隊を、洋上はるかまで進出して爆撃し撃滅する「空飛ぶ沿岸砲要塞」という意味での命名である。この点からも、B-17が制式化された当時は、ビリーの主張のひとつだったアメリカを外敵から防衛するための手段に、4発長距離重爆撃機が位置付けられていたことがわかる。

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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