「盗掘」と「考古学調査」の明確な違いとは? 「空白の4世紀」解明の手がかりが失われる危機
貴重な考古遺産である古代の墓は、長い歴史の中で盗掘者の餌食になり続けた。盗掘と調査の境界はどこにあるのか? 改めて考えておこう。
■世界各国で問題になってきた盗掘被害
新旧大小すべてで17万基はあるのではないかと考えられている古代の墓は、そのほとんどが長い歴史の中で盗掘者に荒らされています。その理由は泥棒が墓に副葬される貴金属を目当てに入り込むからです。弥生の墳丘墓やそののちの古墳には、青銅製品や鉄器、美しいガラス細工や金銀の装飾品など、その時代の一級工芸品が副葬されます。それは被葬者の生前の功績を称え、死後の世界の安寧を願って遺体と一緒に埋葬されるわけです。
しかし盗掘者たちにとってそんなことはどうでもよく、とにかく金目の物があればそれが骨蔵器であっても中の骨や灰を道端に打ち捨てて持ち出しました。工事などで偶然に銅鏡や貴金属が転がり出たこともありますが、それをポケットに入れて持ち帰れば、これは盗掘者と同じです。稀に町の古物商などで発見される古代の遺物は、そういう盗掘者たちから密かに売られた物ではないかと疑いたくなります。

奈良県御所市の室宮山古墳にある長持ち型石棺実物。中央の穴は盗掘者がこじ開けたもの。/撮影:柏木宏之
アメリカ映画の「インディ・ジョーンズ」をご存じでしょうか?第二次世界大戦頃に時代が設定されているような冒険物語で、とても良くできた映画です。ハリソン・フォードが演じる主人公のジョーンズ教授は考古学者という役ですが、彼のしている事はまるで代表的な盗掘者そのものであるといわざるを得ません。
誰も入ったことの無い古代の迷宮に謎を解きながら侵入し、もっとも大切な宝物を命からがら持ち出すのですから、見ている私たちはワクワクドキドキしてとても楽しめます。もちろん映画ですからそれでいいのですが、敢えて考古学的評価をするとまさしく盗掘となります。
今から100年ほど昔、イギリスの考古学者ハワード・カーターは貴族たちの要望とカーナボン卿の資金援助で、エジプトのルクソールを調査して、未盗掘だったツタンカーメン墓を発見しました。それが驚くほどの王墓だったことは皆さんもご存じでしょう。発掘チームはミイラも副葬されていた宝物もことごとく取り出しましたが、その一部を無断で持ち帰っていたようですので、この発掘も結果として盗掘になってしまいます。
発掘のスポンサーであるイギリスの貴族たちに発見の証拠と資金援助のお礼として、輝く出土物を献上する必要もあったのでしょうから、カーター調査団はトレジャーハンター(宝探し)だったといわれても仕方がありません。
まあ100年前の話ではありますが、本来はエジプトの古代史跡であり、墓に対する人々の敬虔な気持ちを無視して重要な文化財を持ち帰ったのであれば現代では許されない話です。実際に海外に持ち出されたミイラや副葬品類の返還要求も起きています。
このようにその国民の共有財産であるはずの歴史的文化財を、盗んだり私物化したりすることは許されない盗掘となりますが、学術的発掘調査とは根本的にどう違うのでしょうか?
日本の場合、現代の発掘調査は公明正大に各行政の発掘許可を受けて行います。発見された遺構や出土物の出現状況などを細かく正確に記録して、徐々に発掘を進めます。出土した物はもちろん、土塊であろうとも重要度に応じて採取した場所の記録を正確にとって保存します。
その土の中に混じりこんでいる小さな骨片や土器片、もしくは目に見えない花粉や種子、穀物片や昆虫の死骸などのほか、有機成分などをじっくり分析するためです。出土した物を私物化すると罪に問われますし、現代の考古学調査の現場にそういう不心得者はいないはずです。
なぜかというと、くどいようですが発掘された歴史遺物は国民全員の共有する文化財だからです。それにとどまらず、世界人類のための文化財だと認定されて世界遺産になるわけです。この出土物や遺構を極めて精緻な現代科学を駆使して調査をすると、かつて日本列島に暮らして国造りをしてきた人々の営みがわかってくるのです。つまり過去の真実に近づいて、より正確な歴史を少しでも知ることにつながるのです。これこそが考古学調査であって、盗掘などとはまるで違うことがお分かりだと思います。
1985年に調査を始めた奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳は未盗掘古墳でした。驚くほど煌びやかな副葬品は、6世紀後半の工芸技術の高さを見せつけてくれました。そして一つの石棺に二体分の人骨が埋葬されていることがわかると、さらに超ミステリーな話題として大きな古代ブームを巻き起こしました。
ここで重要なのは、調査後に研究者たちが小さな骨蔵器を二つ用意して、一体づつ少量の骨片を収納して古墳内部の石棺内に再び収めたことです。つまり古代の墓は現代の私たちにとっては歴史情報を知るための重要な考古学史料ではありますが、本来は丁重に葬られた人物の墓なのですから、被葬者に敬意を払い死後の安寧を尊重し、墓として未来に伝えるというとても大切な精神がそこにあります。

奈良県斑鳩町 藤ノ木古墳
整備されて墳丘を守り、石室内の石棺には二人の被葬者の骨片を二つの骨蔵器に収めて再葬してある。
実に誠実で重要な行為である。/撮影:柏木宏之
宮内庁が管理する古代の貴重な陵墓は、天皇家の祖先の静謐を守るために立ち入りはもちろん調査などは言語道断として明治以降厳禁されています。しかしそのために古墳は荒れ放題となり、巨木の太い根っこが墳丘や埋葬施設を破壊しているのではないかと心配されます。もしもそうならそれが本当に被葬者の安寧と敬意を守ることになるのでしょうか?
巨大な陵墓を綿密に調査するなら費用も巨額になるでしょう。しかし真摯な調査で損壊箇所を修復して本来の姿に戻し、遺物の損傷や劣化を防ぎ、国民共有の真実の歴史研究を妨げるべきではありません。「空白の4世紀」と呼ばれ続けている大和王権が広範囲に成長する時代の物的証拠は、この時代の巨大な前方後円墳に保存されています。しかしそれは現代の激しい気象条件の元、急速な劣化や破壊も惹起しているという疑いを強く感じます。今、今こそ保存の手を尽くさなければ、貴重な国民共有の文化財が永久に失われてしまうという危惧を私は強く感じています。
藤ノ木古墳の例を一つの重要な考え方として尊重すれば、学術調査は盗掘にあらず、同時に被葬者への敬意を示し後世に伝えることが可能であるといえます。そのうえ、貴重な歴史を誇るわが国の国家建設時代をいつまでも空白にしておくというのは愚挙ではないのか?と問いたいのです。