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イギリスの空を守った異形の優秀迎撃戦闘機【イングリッシュエレクトリック・ライトニング】(イギリス)

超音速時代の到来~第2世代ジェット戦闘機の登場と発展~【第11回】


第2次世界大戦末期から実用化が推進された第1世代ジェット戦闘機は、朝鮮戦争という実戦を経験して完成の域に達した。そして研究はさらに進められ、亜音速で飛行する第1世代ジェット戦闘機を凌駕する超音速飛行が可能な機体が1950年代末に登場。第2世代ジェット戦闘機と称されて、超音速時代の幕が切って落とされた。前シリーズに続いて本シリーズでは、初期の超音速ジェット戦闘機(第2世代ジェット戦闘機)について俯瞰してゆく。


脚を出したイングリッシュエレクトリック・ライトニング。独特の形状の主翼と上下に重ねられたジェットエンジンが見てとれる。胴体下部の膨らみの内部には、燃料タンクが収まっている。

 イギリスは敵国だったドイツとともに、第2次世界大戦でジェット機を実戦に投入することができた2か国のうちの一国であった。ゆえに戦後、いわゆる第1世代ジェット機の開発に際しては「貯金」となっていた技術力で先進国としての面子を保った。

 

 ところが時代が第2世代ジェット機の開発へと進む頃になると、海外領土の独立や戦後の経済復興の遅れなどから国家財政が厳しくなり、ジェット機に関する新しい技術の開発などへの投資が緊縮されるといった状況となっていた。

 

 しかしイギリス空軍は、厳しい財政をおして新しい迎撃戦闘機を求めた。これを受けたイングリッシュエレクトリック社は、かなり独創的な設計の機体を提案した。

 

 それは、機体の幅を抑えるため強力なジェットエンジンのロールスロイス・エイヴォンを上下に2基重ねて搭載し、デルタ翼のあまり意味がないと考えられていた内側をくり抜いた独特の形状の主翼、そしてその主翼に収納できる薄いデザインの主脚を備えた、軽量な機体であった。

 

 ライトニング(稲妻)と命名されたこの機体は、イギリス空軍の要望通り迎撃戦闘機として完成した。強力なジェットエンジンの双発のおかげで、迎撃戦闘機に不可欠なきわめて優れた上昇性能に加えて、最大速度マッハ2.7(ただし高高度におけるフライト・テスト時)という高速を発揮。東西冷戦下の当時、恐れられていた核爆弾を搭載するソ連の戦略爆撃機を迎撃するには適した機体となった。

 

 だがその一方で、機体のサイズが小さいにもかかわらず双発化したことで機内燃料タンクのスペースが狭小となり、おまけに主翼下にも懸吊(けんちょう)ラックを設けるスペースがなかったことから、増槽(ぞうそう)を主翼上面に装着するというアイデア(苦肉の策)が生み出された。この点、類似の性格の機体ながら設計がまったく異なるF-104が、翼端と翼下に増槽を装着できたのとは対照的だ。

 

 加えて兵装の搭載量が少なく、おまけにレーダー誘導ミサイルは運用できず赤外線誘導ミサイルと機関銃が主兵装であった。だが、母国や味方基地の防空に携わる迎撃戦闘機は、最寄りの基地に着陸すれば燃料補給も兵装再装備も容易におこなえるので、優れた上昇性能と速度性能のほうが評価された。

 

 かような事情もあって、ライトニングはイギリス空軍機としてヨーロッパ本土やシンガポールに駐留したこともあったが、採用国はクウェートとサウジアラビアの2か国のみだった。なお、本機はイギリス空軍からは1988年に退役している。

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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