NATOの国際計画で生まれた軽戦闘爆撃機【フィアットG.91】
超音速時代の到来~第2世代ジェット戦闘機の登場と発展~【第6回】
第2次世界大戦末期から実用化が推進された第1世代ジェット戦闘機は、朝鮮戦争という実戦を経験して完成の域に達した。そして研究はさらに進められ、亜音速で飛行する第1世代ジェット戦闘機を凌駕する超音速飛行が可能な機体が1950年代末に登場。第2世代ジェット戦闘機と称されて、超音速時代の幕が切って落とされた。前シリーズに続いて本シリーズでは、初期の超音速ジェット戦闘機(第2世代ジェット戦闘機)について俯瞰してゆく。

イタリア空軍アクロバット飛行チーム“フレッチェ・トリコローリ”の塗装が施されたフィアットG.91の展示機。
東西冷戦がますます激化の途を辿っていた1953年、NATOはNBMR-1(NATO Basic Military Requirement 1 )を計画した。
この計画は、先制核攻撃によって既存の航空基地が機能を失った状況下、道路を利用した臨時滑走路や原野などを飛行場代わりに利用可能な短距離離着陸性能を備えておりメンテナンスが容易。コックピットや燃料タンクが装甲で防御されており、空対空ミサイルのほか爆弾、ロケット弾などの各種対地攻撃用兵器が搭載可能。最大速度マッハ1前後という性能を備えた軽戦闘爆撃機を開発し、その機体をNATO各国の統一標準装備機に採用しようというものだった。
これは「前線運用型軽戦術戦闘爆撃機」という機種の嚆矢(こうし)ともいえる概念で、のちにホーカーシドレー・ハリアーやダッソー・ドルニエ・アルファジェット(当初は練習機として計画)、BAEホーク(同)などを生み出してゆくことになる。
開発は国際コンペの形式で実施され、絞り込みの結果、イタリアのフィアットG.91、フランスのブレゲBr.1001タオン、同じくフランスのダッソー・ミステールXXVIが残ったが、最終的にG.91が選出された。
だが、NATOが実施した航空機のみならずさまざまな統一共用兵器の開発計画と同様に、G.91はNATOの全加盟国には採用されず、わずかに開発当事国のイタリアと西ドイツのみが採用。のちにポルトガルが西ドイツの中古機を導入して終わった。
しかし、特にドイツではメッサーシュミット、ドルニエ、ハインケルという、先の第2次世界大戦で軍用機の開発・生産の主力だった航空機製造メーカー3社が、西ドイツにおけるG.91のライセンス生産に参加。同機は敗戦後、同国が初めて生産した軍用ジェット機となった。
NATOの要望通り、小柄な機体に比して兵装搭載量が多く、野戦運用が可能でメンテナンスも容易。飛行性能も素直なG.91の評判は良好で、のちに双発化のうえ全面改設計されたG.91Yもイタリアが運用した。
G.91の実戦運用は、海外領土問題に同機を投入したポルトガルのみが経験している。同国空軍での同機の評価は高く、植民地が絡む海外領土問題なのでアメリカなどが武器禁輸措置を講じた際、なんとか追加のG.91を入手しようと、いったん分解し、部品として購入するといった手段も講じようとしたほどだった。
なお、G.91はジーナという非公式の愛称で呼ばれ、イタリア空軍では1995年に退役している。