ソ連初、世界で2番目の実用量産型超音速ジェット戦闘機【MiG-19ファーマー】
超音速時代の到来~第2世代ジェット戦闘機の登場と発展~【第3回】
第2次世界大戦末期から実用化が推進された第1世代ジェット戦闘機は、朝鮮戦争という実戦を経験して完成の域に達した。そして研究はさらに進められ、亜音速で飛行する第1世代ジェット戦闘機を凌駕する超音速飛行が可能な機体が1950年代末に登場。第2世代ジェット戦闘機と称されて、超音速時代の幕が切って落とされた。前シリーズに続いて本シリーズでは、初期の超音速ジェット戦闘機(第2世代ジェット戦闘機)について俯瞰してゆく。

左右の主翼下にAAM-1アルカリ空対空ミサイルをそれぞれ2発ずつ、計4発を懸吊して飛行中のソ連軍のMiG-19ファーマー。
西側陣営の盟主アメリカのみならず、東側陣営の同じ立場にあるソ連も核兵器を開発してその配備を推進し、東西冷戦が激化の一途を辿っていた1950年代。アメリカが世界初の実用量産型超音速ジェット戦闘機ノースアメリカンF-100スーパーセイバーの開発と配備を進めると、それに遅れをとらぬよう、ソ連もまた同様の機種の開発設計を進めた。
かような流れの中で、ミコヤン・グレヴィッチ(MiG)設計局では、超音速飛行が可能な防空軍向けの迎撃戦闘機の研究が始まった。その結果、数タイプの試作機が造られて初飛行に供されため、後にMiG-19となる機体の初飛行の日付は、どの試作機を原型とするかによって異なるが、直接の試作機とされるSM-2(I-360とも)の初飛行は、1952年5月24日であった。
当初、同機にはT字型水平尾翼が備えられていたが、これを低翼化するなどの改修が加えられてMiG-19が完成する。設計面ではMiG-15ファゴットからMiG-17フレスコへと続く流れの延長線上の改良型ともいうべき機体で、機首に空気取入口を備え、胴体内にアフターバーナー付のツマンスキーRD-9系ジェット・エンジンを2基、左右並列で搭載している。
基本的な固定武装は、大型爆撃機の迎撃時に大きなダメージを与えられるよう、左右の主翼付根にそれぞれ1門ずつと機首に1門で計3門の30mm機関砲。その後、AAM-1アルカリ空対空ミサイル(K-5)の運用能力も付与されている。
最初は迎撃戦闘機として開発されたため、MiG-19は優れた上昇性能と加速性に格闘戦性能を備えており、このことから制空戦闘機としても配備が進められた。その一方で航続距離が短く、エンジンの寿命もまたきわめて短いため、頻繁なオーバーホールが不可欠という欠点もあった。
にもかかわらず整備性が良好だったことに救われて運用は決して困難ではなく、かえって容易ともいえたため、当時のヨーロッパ東側諸国や中国、北朝鮮などに供与されており、特に中国ではライセンス生産されて、独自の大規模改修型まで造られている。
MiG-19はベトナム戦争、中東戦争、印パ戦争などで実戦に投入されており、時の西側製ジェット戦闘機との交戦を経験した。対戦相手となったアメリカやイスラエルのパイロットの高い練度に対して、本機の操縦桿を握った各国パイロットの決して高いとはいえない平均技量を考慮すると、本機はかなり良好な戦績を示したといえよう。