×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画
歴史人Kids
動画

人類初の超音速飛行を成功させた「空のヒーロー」【チャック・イェーガー】

超音速時代の到来~第2世代ジェット戦闘機の登場と発展~【初回特別編】


第2次世界大戦末期から実用化が推進された第1世代ジェット戦闘機は、朝鮮戦争という実戦を経験して完成の域に達した。そして研究はさらに進められ、亜音速(あおんそく)で飛行する第1世代ジェット戦闘機を凌駕する超音速飛行が可能な機体が1950年代末に登場。第2世代ジェット戦闘機と称されて、超音速時代の幕が切って落とされた。前シリーズに続いて本シリーズでは、初期の超音速ジェット戦闘機(第2世代ジェット戦闘機)について俯瞰してゆく。


機首に“グラモラス・グレニス”と書かれたXS-1の前に立つ“チャック”イェーガー。音速突破当時の階級は大尉であった。

 1947年10月14日火曜日1029時、アメリカ・カリフォルニア州モハーヴェ砂漠ミューロック乾湖(かんこ)の上空に轟音が響き渡った。物体が音速を突破した際に生じるソニックブームである。

 

 当時、アメリカ空軍は高速実験機ベルXS-1を用いたサウンドバリアー(「音の壁」の意)突破、すなわち超音速飛行の実験をしていたが、まさにそれが成功した瞬間であった。

 

 実験には、空気を吸い込んで燃焼するジェット・エンジンではなく、空気が不要で爆発的な推進力が得られるロケット・エンジンを搭載したXS-1が用いられた。同機を改造されたボーイングB-29スーパーフォートレスの胴体下面、爆弾倉があった位置に懸吊して離陸し、指定の高度まで上昇したところでXS-1にパイロットが乗り込み、空中発進して「音の壁」に挑むのだ。

 

 超音速の研究がまだ進んでいなかった当時、この「音の壁」付近の速度になると機体が破壊される事故が多発。「音の壁には魔物が棲む」ともいわれており、超音速の世界はまだ人類未踏の域であった。

 

 さて、この日、機首に愛妻の名“グラモラス・グレニス(Glamorous Glennis)”と書いたXS-1の狭いコックピットに収まり、操縦桿を握っていたのは、テスト・パイロットに選ばれたチャールズ・エルウッド“チャック”イェーガー大尉であった。記録はマッハ1.06。かくして彼は、人類史上、公式に水平飛行で初めて音速を超えた男となったのである。しかも当日の2日前、不慮の事故で肋骨2本を骨折したのを隠しての快挙であった。

 

“チャック”は1923年2月13日、ウエストヴァージニア州リンカーン郡マイラで5人兄弟の2番目として誕生した。父親は鉄道機関士や天然ガス採掘技師として働き、幼少期からメカに触れていたことが、のちの彼の人生に有利に働いたようだ。

 

 1941年9月に“チャック”は陸軍航空軍に兵士として入隊。メカに強いことから航空整備兵となった。しかし戦争の気配が近づくなか、アメリカではパイロットは士官の職務だったが、急ぎパイロットを養成するため現役の下士官からパイロットを募る飛行下士官計画が実施され、彼はこれによりパイロット・ウィング(飛行士記章)を手に入れた。

 

“チャック”は第2次大戦で戦い、その間に敵機11.5機を撃墜。しかも、1度の出撃で敵機5機を落すというアメリカ軍初の「Ace in a Day(1日でエースとなること)」となっている。

 

 戦後はテストパイロット畑を歩いたが、ヴェトナム戦争では実戦部隊の第405航空団司令を務めた。さらにアメリカ軍事顧問としてパキスタン空軍を指導した。

 

“チャック”は1975年3月1日にカリフォルニア州のノートン空軍基地で准将(退役後少将に昇進)として退役したが、「人類史上最高のヒーロー」は初の音速突破から50周年の記念イベントが開催された1997年10月14日、「あの日」と同じく機首に“グラモラス・グレニス”と記されたF-15Dイーグル戦闘機で、エドワーズ空軍基地の同じ空にソニックブームを轟かせた。

 

 2020年12月7日のパールハーバー・デーに逝去。享年97であった。

 

KEYWORDS:

過去記事

白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

最新号案内

『歴史人』2025年10月号

新・古代史!卑弥呼と邪馬台国スペシャル

邪馬台国の場所は畿内か北部九州か? 論争が続く邪馬台国や卑弥呼の謎は、日本史最大のミステリーとされている。今号では、古代史専門の歴史学者たちに支持する説を伺い、最新の知見を伝えていく。