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北米大陸の北辺の空を護った“カナダ人”【アヴロ・カナダCF-100カナック】

ジェットの魁~第1世代ジェット戦闘機の足跡~ 【第30回】


ジェット・エンジンの研究と開発は1930年代初頭から本格化し、1940年代半ばの第二次世界大戦末期には、「第1世代」と称されるジェット戦闘機が実戦に参加していた。この世代のジェット戦闘機の簡単な定義は「1950年代までに開発された亜音速の機体」。本シリーズでは、ジェット戦闘機の魁となったこれらの機体を俯瞰(ふかん)してゆく。


        演習において練習用ロケット弾を発射するアヴロ・カナダCF-100カナック。

         カナダは英連邦王国の一員だが、第二次世界大戦を大きなきっかけとして、軍事・経済の面で同じ北アメリカ大陸の隣国であるアメリカと密接な関係を構築した。特に同大戦直後にはその傾向が強く、東西冷戦初期の時期には、北極圏から飛来すると想定されるソ連爆撃機に対する両国間の防空態勢の構築が最重視されていた。

         

         一方で、カナダは第二次世界大戦においてイギリス連邦軍としてイギリス軍とともに戦っており、そのイギリスはジェット機の先進国であった。そのためカナダ空軍もイギリス空軍初の実用ジェット戦闘機グロスター・ミーティアを詳しく知っていた。

         

         このような流れの中で、カナダは独自にジェット戦闘機の開発を開始する。それは当然ながら迎撃戦闘機であり、当時は全天候戦闘機と呼ばれた、レーダー装備の夜間飛行も可能な機体であった。

         

         実は隣国のアメリカも、同様の任務に用いるためカナダよりもやや早くノースロップF-89スコーピオン全天候戦闘機(迎撃戦闘機)を開発しており、北米大陸の防空において協力体制にあるカナダとしても、同様の機体が必要だったのである。

         

         CF-100カナック(「カナダ人」の意)と命名された機体の開発は、アヴロ・カナダ社でおこなわれた。同社は第二次世界大戦中にヴィクトリー・エアクラフト社としてカナダで創設され、1945年にイギリスの航空機メーカーの老舗アヴロ社の子会社になったという経緯がある。

         

         直線翼にアヴロ・カナダ・オレンダ・ジェットエンジン2基を装備し、機首に全天候飛行を可能とするレーダーを搭載。搭乗員はパイロットとレーダー航法士の2名がタンデム配置で乗る。武装は、当初は50口径機関銃8挺だったが、のちには無誘導空対空ロケット弾マイティマウス38発を搭載するようになった。アメリカのスコーピオンと同様の任務に就くため、このように類似したスペックを備えるが、最大速度は本機のほうが遅かった。

         

         カナックは安定性と機動性に優れており、クセがなく操縦も容易だったことから、カナダ空軍は1950年1月19日の初飛行から1981年まで運用を続けた。

         

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        白石 光しらいし ひかる

        1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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