北欧の「小さな技術大国」スウェーデンが生んだ知られざる傑作機【サーブ29トゥンナン】
ジェットの魁~第1世代ジェット戦闘機の足跡~ 【第27回】
ジェット・エンジンの研究と開発は1930年代初頭から本格化し、1940年代半ばの第二次世界大戦末期には、「第1世代」と称されるジェット戦闘機が実戦に参加していた。この世代のジェット戦闘機の簡単な定義は「1950年代までに開発された亜音速の機体」。本シリーズでは、ジェット戦闘機の魁となったこれらの機体を俯瞰(ふかん)してゆく。

フィンガー・フォー編隊で飛行中のサーブ29トゥンナン。各機の胴体に国連軍を示す「UN」の文字が記されていることからわかるように、国連軍の一環として派遣された本機の唯一の実戦参加例とされるコンゴ動乱時の撮影。
北欧の小国スウェーデンが工業先進国で、火砲、戦車、軍艦、航空機など各種兵器の開発・製造能力が高いことは以前にも記した。そして同国が列強に混じって独力でサーブ21ジェット戦闘機を開発したことも以前に紹介したが、そのスウェーデンとサーブ社は、当時、列強の軍事航空界が急ピッチで開発を進めていた後退翼を備えるジェット戦闘機を、直線翼のサーブ21の後継として開発すると決定した。
スウェーデンがかような結論を出せた背景には、自国の工業力の水準に対する正確な理解に加えて、先の第2次世界大戦中にジェット機先進国だったドイツの影響も大きかった。というのも、スウェーデンは特産品のスウェーデン鉱の輸出先として古くからドイツとの関係が深く、その縁もあってドイツが第1次世界大戦に破れて兵器生産を禁止された際には、敗戦ドイツ政府の非公式な要望も受けて、ドイツの進んだ兵器技術を絶やさないためにドイツ人技術者に研究・開発の場を供したという歴史があった。
このような過去の経緯から、第2次世界大戦にドイツが敗れたあとも、スウェーデンは中立国として戦犯容疑のないドイツ人技術者を受け入れたが、中には中枢的立場ではないものの、ジェット機に関わっていた人材もいた。そのため、それまでスウェーデンが独自に培ってきたジェット機技術に加えて、彼らの助力も期待できたからだ。
当初、サーブ社はJxR戦闘機プロジェクトとして直線翼のR1001を開発していたが、これにメッサーシュミット社の試作ジェット機P.1101の情報を反映して後退翼とし、同社はサーブ29を完成させた。初飛行は1948年9月1日。これは、アメリカのノースアメリカンF-86セイバーや旧ソ連のMiG-15ファゴットという、二大列強の傑作ジェット戦闘機2機種よりもわずかに1年遅いだけである。
サーブ29には、イギリスで開発されたデ・ハヴィランド・ゴースト遠心式ジェット・エンジンが搭載されたため胴体が太くなり、そこから転じてスウェーデン語で「樽」を意味するトゥンナンの愛称が付けられた。開発の経緯からもわかるように、トゥンナンは、第2次世界大戦中に未完成ながら1機だけ試作されたP.1101によく似ている。
総生産機数は661機で、スウェーデン以外にオーストリアでも運用された。