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イギリス空軍初の実用超音速全天候戦闘機【グロスター・ジャヴェリン】

超音速時代の到来~第2世代ジェット戦闘機の登場と発展~【第5回】


第2次世界大戦末期から実用化が推進された第1世代ジェット戦闘機は、朝鮮戦争という実戦を経験して完成の域に達した。そして研究はさらに進められ、亜音速で飛行する第1世代ジェット戦闘機を凌駕する超音速飛行が可能な機体が1950年代末に登場。第2世代ジェット戦闘機と称されて、超音速時代の幕が切って落とされた。前シリーズに続いて本シリーズでは、初期の超音速ジェット戦闘機(第2世代ジェット戦闘機)について俯瞰してゆく。


編隊飛行中のグロスター・ジャヴェリン。6機ともイギリス空軍第64中隊の所属である。ご覧のように本機は主翼がデルタ翼でT字型尾翼を備えていたため、試作時にはディープストールに悩まされた。1959年の撮影。

 イギリスはドイツと同じく、第二次大戦中にジェット戦闘機を実用化して実戦に投入している。それがグロスター・ミーティアであった。同空軍は、同大戦中からレシプロの夜間戦闘機を運用していたが、戦後、これをジェット化することにした。

 

 そこで国内航空機メーカー数社に要求性能仕様を示したところ、デハヴィランド社とグロスター社のプランが有望と判断された。イギリス空軍は、前者のDH.110(ヴィクセン)を特に有力視していたが、1952年9月6日、ファーンボロー航空ショーにおいて試作1号機が大観衆の眼前で空中分解のうえ墜落し、巻き添えとなった約90名の観客が死傷するという大惨事を起こしてしまった。

 

 この事故により、イギリス空軍はDH.110の採用を中止し、二番手だったグロスター社のGA.5の開発を急遽推進した。本機は、デルタ翼にT字型尾翼を持ち、胴体にジェット・エンジン2基を並列に収めた機体だった。夜間(全天候)迎撃戦闘機として開発されたため、乗員はパイロットとレーダー士兼ナビゲーターの2名で、タンデムに搭乗する。

 

 当時はまだレーダー技術が未発達で、パイロットひとりで操縦とレーダーの操作をこなそうとするのはかなり煩雑だったことから、レーダー操作に専念する乗員が乗せられている。しかし夜間や悪天候下では、パイロットの「一組の眼とひとつの脳みそ」だけよりも、「あと一組の眼と脳みそ」が同乗しているほうが、飛行時や戦闘に有利であることが第二次大戦での戦訓により判明していた。

 

 試作1号機は1951年11月26日に初飛行した。GA.5はジャヴェリンと命名されたが、1953年6月11日、試作2号機がフライトテスト中にディープストールを起こして墜落。原因はT字型尾翼に起因すると思われたため、失速警報装置が常備された。しかし、かような飛行状態以外では操縦しやすい機体と評価されており、2基搭載しているアームストロング・シドレー・サファイア7Rジェット・エンジンのうち、1基が停止しても容易に飛行が継続できた。

 

 ジャヴェリンの部隊配備は1956年2月から始まった。試作機も含めて436機が生産されたが、採用した外国はなく、実戦を経験せず1968年4月に退役している。

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白石 光しらいし ひかる

1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。

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