米英の対日感情悪化と制裁を招いた「南部仏印進駐」はなぜ実行されたのだろうか!?─日本の開戦までの8つの過ち【その7】─
太平洋戦争のすべて〜戦後80年目の真実〜#08
■資源確保のために南進! 日独伊三国同盟を締結

「仏印進駐」とは、第二次世界大戦中、フランス領インドシナへと日本軍の進駐したことを指す。/国立国会図書館蔵
広大な国土を有する中国との全面戦争が長期化し、国内では物資が不足していった。その上、日中戦争に反発したアメリカが1939年7月に日米通商航海条約の破棄を通告してきた。翌年に条約が失効したら、戦争の
継続が難しくなる。そうしたなか同年9月、ドイツがポーランドに侵攻して第2次世界大戦が勃発。ドイツは破竹の勢いで進撃、1940年6月にはパリを占拠しフランスを降伏させた。
日本国内では、アメリカとの戦争を覚悟してドイツ・イタリアと提携し、資源確保のため南方(東南アジア)へ進出すべきだとの声が高まった。第2次近衛文麿内閣が成立すると、内閣は同年9月に日独伊三国同盟を結び、日本軍は援蒋ルートの遮断と資源確保のため、北部仏印(フランスの植民地インドシナ領)に進駐したのである。
アメリカは三国同盟に激怒し、日本への屑鉄輸出を禁じ、ますます経済的圧力を強めた。
監修・文/河合 敦
歴史人2025年9月号『太平洋戦争のすべて〜戦後80年目の真実〜』より
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