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国際社会からの「NО」に抵抗! 満洲国建国を承認されず国際連盟からの脱退までの日本の顛末とは⁉─日本の開戦までの8つの過ち【その5】─

太平洋戦争のすべて〜戦後80年目の真実〜#06

 

■関東軍による満洲国建国!国際社会からの「NО」に抵抗

 

 若槻礼次郎内閣にかわって組閣した犬養毅(政友会)は、関東軍に歯止めをかけ、中国政府と直接交渉をおこない満洲事変を解決に導こうとした。が、関東軍はすさまじい勢いで満洲の主要都市を占領していった。

 

 アメリカは、満洲事変は九カ国条約(中国の主権尊重などを取り決めた)や不戦条約に背くものだと強く非難した。中国も国際連盟規約違反であると連盟に提訴した。

 

 こうした動きに対し、関東軍は満州を日本領に組み入れる方針を改め、隠棲していた清朝最後の皇帝溥儀を執政とし、満洲国を建国したのである。1932年3月1日のことだ。

 

日満議定書締結。1932年9月15日、日本が満州国を独立国として承認。満州国は領域内での日本の権益の尊重と共同防衛のための日本軍の無期限・無条件駐留を定めた/国立国会図書館蔵

 

 連盟はイギリスのリットン卿に調査団を組織させ、現地や日本・中国を調査させた。結果、「満洲国を承認できない、関東軍は元の場所へ撤兵すべき」とする報告書をまとめた。この報告書をもとに1933年2月、連盟において満洲の現状を不可とする決議案が、賛成42、反対1(日本)で可決された。

 

 すると松岡洋右代表は席をけって退場し、日本は国際連盟から脱退する旨を連盟側に通告した。こうして日本は国際的孤立への道を選んだのである。

 

監修・文/河合 敦

歴史人2025年9月号『太平洋戦争のすべて〜戦後80年目の真実〜』より

 

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