朝ドラ『あんぱん』本当に大変だったのは作曲家だった!? 一夜漬けで完成した「やさしいライオン」の立役者とは
朝ドラ『あんぱん』外伝no.70
NHK朝の連続テレビ小説『あんぱん』は、第22週「愛のカタチ」が放送された。嵩(演:北村匠海)とのぶ(演:今田美桜)は長屋からマンションに引っ越し、故郷で暮らしていた羽多子(演:江口のりこ)を呼び寄せた。ある日、嵩への電話に対応した羽多子が仕事を引き受けてしまったが、それは「明朝までにラジオドラマを1本書いてほしい」という無茶な依頼。しかし、嵩は悩みながらも母と子をテーマにした「やさしいライオン」を仕上げた。さて、史実でも一夜でラジオドラマを書き上げたのだが、本当に大変なのはその後だった。今回はそのエピソードを取り上げる。
■急な仕事にも対応し、キャスティングまでこなす
50代に近づいてきても漫画家として芽が出ないやなせ氏だったが、ラジオの仕事はとりわけ楽しかったという。単発の30分ドラマの脚本を書いたり、コントを書いたりしていたらしい。ラジオは書いて終わりではなく演出にも関われたそうで、それがまた面白かったのだという。脚本を大きくいじられないという点も気に入っていた。
後にやなせたかし氏の代表作の一つとなる「やさしいライオン」が誕生したのはそんな時だった。昭和42年(1967)春、やなせ氏は48歳になっていた。
その日の午後、ラジオ局のディレクターから電話がかかってきた。「予定していた先生の脚本が間に合わなくて穴があいてしまいそうだ。無理を承知でのお願いだが、何でもいいので明朝までに30分ドラマを1本書いてほしい」というものだった。やなせ氏は自分が「困ったときのやなせさん」であることを理解していたし、基本的に仕事は何でも引き受けていたのでこの時も二つ返事で「いいですよ」と仕事を受けた。ディレクターはどれほど安心したことだろう。やなせ氏は「なんとかしなくちゃ男がすたる」と、急いで仕事にとりかかった。
とはいえ、1から作っていたのではとてもじゃないが間に合わない。そこで、以前書いた5分程度の短い物語を30分ドラマに仕立て直すことにした。親子の対話劇をベースに、音楽を織り交ぜたミュージカル風のドラマである。声はいずれも長く付き合いのあった歌手・女優の久里千春さんと、女優・声優・ナレーターとして活躍した増山江威子さん(TVアニメ『ルパン三世』で峰不二子の声を担当したことで知られる)に依頼。歌は親しくしていたコーラスグループ「ボニージャックス」に頼み、その紹介で作曲家・磯部俶氏に作曲を頼むことになった。この布陣をみても、やなせ氏の交友関係の広さに驚かされる。
やなせ氏は夜明け前に物語を書き上げたが、大変なのは作曲である。磯部氏も依頼をうけてあらすじを元に一夜でできるだけ作曲を進め、あとはラジオ局のスタジオでやなせ氏と話し合いながら仕上げていったというから驚きだ。ちなみにやなせ氏曰く、磯部氏は「いつもこんな短時間でやっつけ仕事をしていると思われたら困るんだが」と文句を言いつつも熱心に譜面を書いていたそうだ。
こうして完成した「やさしいライオン」はやなせ氏にとってラジオドラマと絵本の代表作となってゆく。スライドミュージカルとなって歌唱を担当したボニージャックスの全国巡演で広まり、絵本にもなって多くの人に読まれた。そしてこれが後に「アンパンマン」誕生に繋がるのである。

イメージ/イラストAC
<参考>
■やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)
■やなせたかし『人生なんて夢だけど』(フレーベル館)