真珠湾攻撃の先例となった「ジャッジメント作戦」とは? “航空通”の山本五十六が選んだ奇襲攻撃
太平洋戦争は、1941年12月8日(日本時間)にアメリカ太平洋艦隊の一大根拠地であるハワイ諸島オアフ島真珠湾を日本海軍の南雲空母機動部隊の艦上機が奇襲攻撃し、在泊中の艦艇や軍事施設に大損害を与えたことから始まった。この事実は、多くの人々が知っている。そこでこれにまつわる逸話を、かいつまんでごく簡単に紹介してみたい。
■山本五十六も参考にしたかもしれない「ジャッジメント作戦」
ちょっと歴史にご興味のあるかたなら、この真珠湾奇襲攻撃を発想したのが、山本五十六連合艦隊司令長官であることはご存知だろう。今でこそ、空母とそれに載せられている艦上機は、どんな水上戦闘艦よりも強いことが当たり前と思われている。だが太平洋戦争前の世界では、まだ空母とその艦上機が巨大で強力な戦艦を撃沈できるとは、理論的には考えられても実戦での実例がなかったので、半信半疑の事柄であった。
しかし山本は、かつて空母「赤城」の艦長や海軍航空本部技術部長を歴任し、海軍きっての「航空通」だという素地に加えて、とある「先例」があったことを知っていたはずだ。その先例とは、1940年11月11日深夜から翌12日にかけて、地中海でイギリス海軍が実施した「ジャッジメント」作戦である。
この作戦は、空母「イラストリアス」を発艦したフェアリー・ソードフィッシュ艦上攻撃機21機が、イタリア南部の同海軍最大の軍港タラントを夜間空襲したもので、イギリス海軍は、ソードフィッシュ2機喪失と引き替えに、イタリア海軍虎の子の戦艦3隻を着底(実質上の沈没)させる大戦果を得ている。

戦前のタラント軍港の様子。駆逐艦群(手前)や巡洋艦群(奥)がずらりと停泊している。
しかも真珠湾奇襲攻撃の約1年前の戦いなので、日本はまだ参戦していないため情報も入ってきやすく、作戦の詳細はわからなくとも、山本にとっては十分「敵の根拠地(真珠湾)を艦上機で空襲する」という「発想の引金」にはなったはずだ。
この「敵の根拠地を艦上機で空襲する」という作戦には、メリットとデメリットがあった。
まずメリットだが、敵艦が動いていないので、動いている敵艦を狙うよりもはるかに爆弾や魚雷の命中率が向上するという点、それに準じて、移動中ではなく停泊中を狙うので、広い外洋で敵艦隊を捜す手間が省ける点などがあげられる。
一方デメリットだが、奇襲ではなく、襲来を敵に事前に知られていたり白昼の強襲だと、各艦のみならず根拠地の対空砲火も加わって、艦上機にとっての危険度が増すという点、往々にして根拠地とされる湾内は水深が浅く雷撃が難しい点、その水深の浅さのせいで、水深が深い外洋なら沈没する被害を蒙った艦の船底が着底して沈みきらないため、浮揚修理が容易におこなえるという点などがあげられる。
そしてこれらの点を加味したからこそ、作戦実施日には、根拠地も艦艇も休日シフトになる日曜日が選ばれ、しかも相手側にこちらが事前に察知されないように奇襲が選ばれたのだ。
また、水深が浅いとなぜ雷撃が難しいかといえば、飛行中の航空機から800kg以上の重さの航空魚雷を勢いよく投射すると、自重と速度のせいでいったん深く潜ってから走行する水深まで浮き上がってくるが、水深が浅いと魚雷が海底に突き刺さってしまうからだ。
そこで真珠湾奇襲攻撃に際しては、事前に研究して深く潜らないように手を加えられた魚雷が使用された。
だが、水深が浅いと着底した損傷艦の修理が容易になる点については、あまり問題とはされなかったかも知れない。というのも、山本の考えでは、アメリカ太平洋艦隊に大打撃を与えるのは短期の戦いのあとに講和を有利に進めるためのカードであり、史実のように3年半以上にも及ぶ長期戦になるとは思ってもいなかっただろうからだ。
このように、もし「航空通」の山本が連合艦隊司令長官でなかったら、日本は真珠湾奇襲攻撃ではなく、別の戦いで太平洋戦争を開始していた可能性が高いと思われる。

奇襲攻撃約1か月前の1941年10月30日に撮影された真珠湾全景。各艦艇が整然と係留されているのが見える。