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江戸中を恐怖に陥れた感染症「安政コロリ」とは? 恐ろしすぎる感染症の歴史

日本史あやしい話

■からし粉を練ってお腹に塗って治す?

 

 それによれば、安政5年6月下旬に東海道筋(実際には長崎方面か)より流行り始め、7月上旬には早くも大江戸の赤坂辺りから感染者が出始めたという。「此病に犯さる者九死に一生を保つは稀なり」というほどだったから、この時点ですでに江戸中がパニック状態に陥っていたことは想像に難くない。

 

8月中旬には「死する者多きは一町に一百余人」にものぼり、「焼場の棺所せきまで積ならべて山をなせり」とも。火葬が間に合わず、焼場の前に棺桶が山積みされていたというのだ。しかも、訳も解らず呆気なく死んでしまう訳だから、狐か狸あたりに騙されたとでも思ったものか、「狐狼狸」と綽名されたとも記している。

 

■治療法がわからず、右往左往

 

 前述のように、多くの人々が治療方法もわからず、ひたすら神仏に頼るしか術がなかったから、門戸に諸神の守札を貼ったり、ヤツデの葉を吊したり、鎮守のお神輿を担ぎ出して悪霊を追い払うかのごとく振る舞ったりと、あの手この手で追い払おうとしたようだ。

 

 なお、この感染症に対して、幕府から御触書が発令されているが、そこに記された治療方法が何ともユニークであった。芳香散という名の健胃剤を用いたというのはともあれ、からし粉とうどん粉をお湯で練った芥子泥なるもの作って、腹や手足に擦り込めというのが特異。これにどれほど効果があるのか想像もつかないが、恐らくは多くの人々が。藁をも掴む思いで実践したに違いない。

 

 その効がなかったからかどうかは解らないが、特にひどかった文久2年には、江戸だけで死者数7万人を数えたとか。この年は麻疹の大流行もあったから、一層悲惨であった。

 

■今にも通じる感染症対策

 

 幕府は杉田玄白のひ孫にあたる玄端に命じて、オランダ医師のフロインコプスが著した『衛生全書』の中から、今回の流行病の予防法となるような部分を翻訳させて、『疫毒予防説』なる書を出版させたこともあった。

 

そこで奨励されたのが、「身体を清潔に保つこと」及び「空気の循環を良くすること」さらには「適度な運動と、節度ある食生活」を心がけるというものであった。いずれも、今日の感染症対策においても通用するようなものだっただけに、その先見の明ぶりに驚かされたものであった。

 

 ちなみに、その発生源は、文政5年時は対馬あたりと見られているが、安政5年の感染源は、米国艦船ミシシッピ号だったという。長崎に入港した際、乗員にコレラ患者が出たことがわかったからである。かの浮世絵師・歌川広重もこの病で命を落としているが(安政5年9月6日)、こればかりは不運というほかない。

 

■近現代もつづく感染症

 

 残念ながら、明治時代に入っても、まだまだ感染は途切れなかった。明治20年には死者10万人を超えたというから、実にしぶとい病である。この時は、石炭酸(フェノール)での消毒が行われた他、トイレや下水溝の清掃などの対策も講じられたことが記録されている。

 

 その後、衛生状況の改善が進むに連れて下火になってきたことは幸いであったが、それに代わる新たな感染症(スペイン風邪、マラリア、デング熱、赤痢、新型インフルエンザやSARSMARS、鳥インフルエンザ等々)が次々と発生。

 

気の休まる暇もないまま、今回の新型コロナウイルス感染症が蔓延。その対応に迫られるようになってしまったのである。世界及び日本の歴史は、一面、感染症との戦いの連続であったことも忘れてならないのである。

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過去記事

藤井勝彦ふじい かつひこ

1955年大阪生まれ。歴史紀行作家・写真家。『日本神話の迷宮』『日本神話の謎を歩く』(天夢人)、『邪馬台国』『三国志合戰事典』『図解三国志』『図解ダーティヒロイン』(新紀元社)、『神々が宿る絶景100』(宝島社)、『写真で見る三国志』『世界遺産 富士山を行く!』『世界の国ぐに ビジュアル事典』(メイツ出版)、『中国の世界遺産』(JTBパブリッシング)など、日本および中国の古代史関連等の書籍を多数出版している。

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