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以前は仲の良かったイランとイスラエル なぜ軍事衝突までこじれてしまったのか?


 イランとイスラエルは、かつて中東における重要な協力関係を築いていた。両国は冷戦下で共通の戦略的利益を持ち、経済・軍事・情報面での連携を深めていた。しかし、1979年のイラン・イスラム革命を契機に、その関係は根本的に転換し、現在では中東における最大級の敵対関係の一つとなっている。

 

■冷戦下の協力関係

 第二次世界大戦後、1948年に建国されたイスラエルと、パフラヴィー朝下の親西側国家イランは、ソ連の拡張とアラブ民族主義への警戒という共通の脅威を抱えていた。非アラブ国家である両国は、経済・農業協力、石油供給、諜報活動などの分野で緊密な関係を築いていた。イランの情報機関SAVAKとイスラエルのモサドは、反共産主義の立場から情報交換を行い、また、エル・アル航空による両国間の直行便も運航されていたのだ。1970年代初頭までは、イスラエルとイランは地域における戦略的パートナーだったと言える。

 

■きっかけは1979年のイラン革命

 しかし、1979年のイラン・イスラム革命により、イランの政治体制は劇的に変化する。シャー政権が崩壊し、ホメイニ師を最高指導者とするイスラム共和国が誕生。この体制は反米・反イスラエルをイデオロギーの中心に据えた。イスラエルはシオニスト政権とされ、パレスチナ問題がイスラム世界の象徴的課題として掲げられる。イランはイスラエルとの国交を断絶し、両国の関係は友好から完全な敵対へと変わっていった。

 

■代理戦争を通じた対立の深化

 1980年代以降、イランは中東における影響力を強化し、レバノンのシーア派組織ヒズボラへの支援を本格化させる。ヒズボラは1982年以降、イスラエルと衝突を繰り返し、イスラエルにとって深刻な安全保障上の脅威となる。イランはシリアのアサド政権とも連携を深め、いわゆる抵抗の枢軸を形成。一方のイスラエルは、イランの核開発や地域活動を自らの存続への脅威と見なし、軍事・情報面での牽制を強めていく。

 

■核問題と軍事的緊張の高まり

 そして、2000年代以降、イランの核開発疑惑が国際問題化していった。イスラエルは繰り返し核兵器を持つイランは容認できないと主張し、軍事行動の可能性を示唆する。2010年には「スタックスネット」と呼ばれるサイバー攻撃でイラン核施設が被害を受け、イスラエルと米国の関与が報じられた。イランはこの攻撃をテロと非難し、ヒズボラやハマスなど反イスラエル組織への支援を一層強化する。2011年のシリア内戦では、イランがアサド政権支援のため軍事介入し、イスラエルとの対立がさらに激化した。

 

■近年の緊張激化

 2020年代に入り、イランとイスラエルは直接的な武力衝突に近い状態へと進んでいった。2020年には、米国によるイラン革命防衛隊のソレイマニ司令官の暗殺が起き、イスラエルの関与も一部で疑われた。以後、ドローンやミサイルによる攻撃が報告され、イスラエルはシリアやイラン国内の軍事関連施設に対する空爆を実施。2023年以降は、ガザ紛争やレバノン国境での交戦が頻発し、両国の軍事的緊張は過去最高水準に達していった。

 

 イランとイスラエルの関係は、冷戦下の戦略的連携から、イデオロギーと地政学的対立を背景とした敵対関係へと大きく転換した。とりわけイラン・イスラム革命後の両国は、代理戦争やサイバー攻撃を通じて、断続的な対立をエスカレートさせていった。

イメージ/イラストAC

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プロバンスぷろばんす

これまで世界50カ国ほどを訪問、政治や経済について分析記事を執筆する。特に米国や欧州の政治経済に詳しく、現地情報なども交えて執筆、講演などを行う。

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