「世界の一等国」大日本帝国として迎えた「昭和」のはじまりとは⁉【昭和100年目の真実】
昭和100年目の真実 #01
2025年は昭和元年から数えると100年。そのはじまりは日清・日露・第1次世界大戦に勝利し、近代化が始まって半世紀にも満たない時期。そのはじまりの歴史のここでは触れる。

「帝国議会記事堂より御還幸の御鹵簿」
帝国議会記事堂での国会開院式に臨席後、皇居へ戻る昭和天皇の行列を撮影した絵葉書。(東京都立中央図書館蔵)
■日清・日露戦争の勝利で満州・関東州にも租界
大正15年(1926)12月25日、大正天皇の崩御、皇太子裕仁親王の践祚(せんそ)により、改元の詔書が公布された。「昭和のはじまり」である。
この当時、日本は国際連盟の常任理事国であった。日清戦争、日露戦争などの勝利を経た日本は、すでに海外に多くの領土を獲得。明治維新以来、富国強兵に努めてきた日本は「世界の一等国」の位置を十分に占めていた。
台湾が日本の統治下に入ったのは、明治28年(1895)に日清戦争に勝利し、下関条約が締結された結果である。日本は台湾に対し、インフラや教育制度の整備を通じて抜本的な近代化政策を推進。当初は強硬な姿勢もあり、住民からの抵抗も招いたが、その後は自治権を拡大するなど、穏健な政策へと舵を切った。
朝鮮半島は明治43年の韓国併合によって、日本の統治下に入った。アメリカやイギリス、ドイツなど、世界の主要国は「日韓併合条約」を国際的に認めた。
日本は朝鮮半島の近代化に取り組んだが、現地の人々との軋轢(あつれき)は深く、激しい抗日運動も起きた。大正8年には三・一独立運動が勃発。ただし、以降はそれまでの厳しい統治内容を修正した。
日本は満州(現・中国東北部)にも利権を得た。日露戦争の勝利後、ポーツマス条約の締結によって、南満州の権益を獲得したのである。それまでロシアが保有していた遼東半島の租借地を引き継ぎ、「関東州」とした日本は、ロシア時代の「ダルニー」を「大連(だいれん)」と改めた。大連は「自由港」として栄えた。
同じくポーツマス条約により、樺太の北緯50度以南も日本領となった。日本は樺太庁を置き、石炭業や製紙業といった産業の発展を推進した。
■赤道以北の島々を国連から委任統治

日本最初の地下鉄が開通した日の「浅草駅」
昭和2年(1927)に日本最初の地下鉄が浅草~上野間で開通。日本は大きな発展を遂げていたのが昭和のはじまりの時期であった。(国立国会図書館蔵)
日本は太平洋にも拠点を有した。第1次世界大戦でも戦勝国となった日本は、ドイツがそれまで保有していた赤道以北の太平洋の島々を国連からの委任によって統治することになった。日本はパラオに南洋庁を設置し、この地域の開発にまい進。港湾施設や道路などのインフラ整備に尽力した。また、ドイツ統治時代には島民への愚民化政策が行われていたが、日本は教育制度を充実させた。
サイパンには南洋庁の支庁が設けられ、同じく島内の開発が進められた。最も栄えたのは糖業であったが、貿易の中継地としても重要な役割を担うようになった。
以上、日本は昭和初期において、海外に広範な領土を有していたが、それらは国際的な条約や、国連からの委任によって得られたものであった。
海外進出を果たした日本は大正8年、第1次世界大戦後に開かれたパリ講和会議の国際連盟委員会の席において、「人種的差別撤廃提案」を提出。しかし、イギリスやアメリカによって否決された。
さらにアメリカでは、日本人移民を締め出す政策が推進されるなど、急激に国力を増す日本に対する警戒の目は次第に拡大していた。
監修・文/早坂 隆