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戦国東北を権謀術で席巻した後、天下人に取り入って生き抜いた驍将【最上義光】

知っているようで意外に知らない「あの」戦国武将たち【第30回】

 

最上義光騎馬像

 

 織田信長が、浅井・朝倉連合軍と姉川で戦っている頃、奥州・東北を舞台に権謀術を駆使して中小豪族との戦いを有利に運んだのが最上義光(もがみよしあき)である。

 

 義光は天文15年(1546)、出羽・山形に生まれた。父・最上義守(よしもり)との葛藤は成人する頃から始まり、後には最上家の主導権争いから、父親によって幽閉される。そこから脱出して、反逆のクーデターを起こし、逆に父・義守を隠居に追い込み、義守が家督を相続させようとしていた弟・義時を殺して、最上家の跡目を継いだほが、元亀元年(1570)、義光25歳のことである。

 

 信長を中心にした中央での覇権争いとは、まったく別のところで義光は徐々に領土を拡大していく。その過程では、谷地領主・白鳥長久(しらとりながひさ)をだまし討ちにした事件などが、その権謀ぶりを語るものとして残っている。白鳥の娘と、義光の長男・義康(よしやす)との婚儀を進めて白鳥の油断を誘い、自らは重病を装って山形城内に籠もると、白鳥は病気見舞いに訪れた。義光はこの白鳥を山形城内で暗殺して、谷地を自分のものとしたのだった。

 

 こうした謀略は、義光の得意芸のようなもので、他にもいくつかの小豪族をこうした騙し討ち同然のやり方で殺し、領地を奪っている。義光の妹・義姫(よしひめ)は伊達輝宗(だててるむね)の正室であり、伊達政宗の生母である。こうした姻戚関係にもかかわらず、義光と政宗の仲はむしろ険悪なものになっていく。こうした中で、母・義姫による政宗毒殺未遂事件も起きる。

 

 文字通り、義光にとっては「この世に恐ろしいものなど何もない」と豪語したくなるほどであったが、ただ1人、義光の背筋が凍るほどの恐怖を感じさせたのが、豊臣秀吉であった。この時、義光45歳。

 

 天正18年(1590)の秀吉による小田原・北条攻めで、最上義光は参陣が遅れた。後に参陣が遅れた奥羽の諸大名は、はじから領地を取り上げられることになる。伊達政宗とてそうした運命にあったが、秀吉の気まぐれによって政宗は一命と領地を守ることが出来た。義光の場合は、遅参した際に以前から親交のあった徳川家康の取り成しで何とか無事に領地を保全された。

 

 このおそろしいばかりの秀吉の実力と処断の激しさに、義光は「驍将(ぎょうしょう)」の誉れも忘れて、以後は「天下人・秀吉」の歓心を買うことばかりに集中した。奥州征伐の大将として山形を訪れた関白・秀次の目に止まった娘・駒姫12歳を、喜んで側室に差し出したり、2男・家親(いえちか)は家康の近侍に差し出し、3男・義親(よしちか)を秀吉後継の秀頼に仕えさせたりした。

 

 しかし駒姫は、秀次失脚の巻き添えとなって処刑されている。義光は、秀吉没後の関ヶ原合戦では、家康の東軍に参陣し、伊達軍とともに上杉景勝の軍勢と戦った。戦後、この論功行賞によって山形57万石を与えられた。念願の山形掌握に成功した義光は、大大名となった。

 

 だが2男・家親に家督を譲る過程で嫡男・義康を殺害せざるを得なくなるなど、不幸も見舞うる。義光は慶長19年(1614)3月20日、69歳で病死する。その没後、御家争いが起きて、最上家は改易となる。

 

 後に、このような生き方をした義光をして「驍将」と呼ぶこともある。驍将とは、「」強く勇ましい武将」「力強く物事を推進する武将」を指す言葉だが、出羽・山形藩57万石の藩祖となった義光には、ある意味で相応しい呼び方かも知れない。

 

 謀略に開け暮れたように思える義光の生き方であるが、その半面で文化人としての教養もあり、「智・仁・勇の三つの徳を兼ね備えた人物」という評価もあるという。それが「驍将」という讃辞になったのもと思われる。

 

 

 

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過去記事

江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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