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時代に遅れてきた兵法者<辻月丹>が創始した「無外流」とは⁉

【日本剣豪列伝】剣をもって生き、闘い抜いた男たち<第12回>


戦国時代。剣をもって戦場を往来し、闘い抜き、その戦闘形態が剣・槍・弓矢から鉄砲に変わっても、日本の剣術は発達し続け、江戸時代初期から幕末までに「剣術」から「剣道」という兵法道になり、芸術としての精神性まで待つようになった。剣の道は理論化され、体系化されて、多くの流派が生まれた。名勝負なども行われた戦国時代から江戸・幕末までの剣豪たちの技と生き様を追った。第12回は無外流の創始者である辻月丹(つじげったん)。


太刀(名物 大包平) (めいぶつ おおかねひら)
堂々たる大太刀で地鉄、刃文の仕上がりが美しい。古備前鍛冶の刀工の一人である包平。銘は「備前国包平作」と長銘である。

 武士にとって兵法が最も必要とされたのは、室町時代後半からから江戸時代の始まりくらいまで。戦場では兵法を身に付けていることが、必要不可欠であった時代であった。そこから様々な剣客、様々な流派が生まれてきた。しかし、徳川幕府が開かれると、戦国の気風も鎮まり、兵法も実践ではなく「教養」の類になってきた。それでも、剣客はまだ存在し、自らの兵法を磨くために研鑽する者もいた。「人を斬る必要がない時代」の到来であっても「兵法」つまり人を斬る術を追究する剣客が残った。このように、時代に遅れた兵法者には、前項で紹介した「針ヶ谷夕雲」や弟子の小田切一雲などがいた。

 

 彼らと同じように、時代に遅れてやって来た兵法者に、辻月丹という人物がいた。月丹は、近江・甲賀生まれだが、その誕生は慶安2年(1649)というから、徳川家康が幕府を開いてから46年も経っている頃である。家の取り潰しなどで浪人者が増え、月丹が生まれて2年後には由井正雪(ゆいしょうせつ)らによる倒幕の陰謀「慶安の変」が起きている。

 

 それでも月丹は兵法を好み、13、4歳で京都に出て、鹿島新当流の山口卜真斎(ぼくしんさい)の門弟になった。月丹の上達は早く、師の卜真斎は江戸に出て見分を広める(良い師について修行を重ねる)ことを勧めた。「江戸にはもっと優れた兵法の師がいる」というのである。

 

 延宝2年(1674)、26歳の月丹は江戸に出た。麹町9丁目に借家して「山口流兵法所」の看板を掲げた。だが、名もないうえに武士たちも兵法には興味がない時代である。弟子は集まらず、とうとう生活にも困窮する有様になった。朝食などは採れないことがしばしばであった。それでも月丹は、他流試合によその道場を訪れた。だが、どこの道場でも月丹の汚い姿、髷(まげ)も結えないほどのぼうぼうの髪型を見て、立ち合いを断った。

 

 こうした貧困の中でも兵法者としての気概を失わない月丹を見て、少しずつ門弟も集まり出した。月丹の腕も上がり、江戸でも上位の道場と見なされるようになる。そうした頃、月丹は麻布・桜田町の吸江寺で住持の石澤和尚に付いて参禅を始めた。そして元禄6年(1693)、45歳で月丹は悟りの境地に達した。その時、和尚から受けた「偈(げ/仏の徳を誉め讃える4句から成る詩)」に「一法実無外(一つの法は実に外に無し)」があった。月丹は、この偈から自らの流派を「無外流」とした。ここに至って初めて月丹は自ら流派を名乗る技量に気付いた、ということであった。

 

 貧富を超え、一剣士の域を超え、しかも禅者となった月丹は、その後、老中・小笠原長重(おがさわらながしげ)、土佐藩主・山内豊昌(やまうちとよまさ)、前橋藩主・酒井忠挙(さかいただたか)ら、兵法に興味を持つ大名との付き合いを持った。月丹に兵法指南を望む大名をあったが、月丹は断り弟子を派遣した。

 

 時代に遅れてきた月丹だったが、ついには五〇家の大名と1千人以上の旗本・諸大名の家臣が入門したという。因みに、池波正太郎著『剣客商売』の主人公・秋山小兵衛も「無外流」の達人ということになっている。月丹は、享保12年(1727)、79歳の長命を保って没した。

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江宮 隆之えみや たかゆき

1948年生まれ、山梨県出身。中央大学法学部卒業後、山梨日日新聞入社。編制局長・論説委員長などを経て歴史作家として活躍。1989年『経清記』(新人物往来社)で第13回歴史文学賞、1995年『白磁の人』(河出書房新社)で第8回中村星湖文学賞を受賞。著書には『7人の主君を渡り歩いた男藤堂高虎という生き方』(KADOKAWA)、『昭和まで生きた「最後のお殿様」浅野長勲』(パンダ・パブリッシング)など多数ある。

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