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犬が旅をしてお伊勢参り!? 江戸時代のほっこりエピソード

日本人と愛犬の歴史 #08


江戸時代、天下泰平の世で定期的にブームになったのが「お伊勢参り」だ。一世一代の旅行と意気込んで出かけ、各地の観光地を巡りながら伊勢神宮を目指した。しかし、詣でたのは人間だけではなかったとか……。今回は、犬と人の心温まる物語をご紹介したい。


ⓒnene

■江戸時代に栄えた観光事業と犬

 

 江戸時代後期、犬は単独で伊勢参りをしていた。皆さんはこれを信じるだろうか。しかし、これは事実なのである。当時、伊勢参りはただ参拝するだけのものではなかった。ついでに京都や奈良を見物したり、外宮(げくう)と内宮(ないくう)との間にあった歓楽街で遊ぶことも含まれていた。もしかしたら、そっちが主な目的の人もいたかもしれない。一般庶民にとっては現代で例えるなら東京ディズニーランドへ行くようなものだったのではないか。

 

 そんなお伊勢さんに、犬が単独でお参りをするようになったというのだから、ただごとではない。記録によると、犬の伊勢参りが最初に目撃されたのは、明和8年(1771)のことである。その犬は高田善兵衛という名が書かれた札をつけていたという。

 

 道すがら銭を与えた者がいたようで、戻った時には紐を通した銭を首からぶら下げていた。しかも、銭が増えて重くなったからか銀に両替してあったのである。この犬のことは噂話として広まったが、多くの人間が半信半疑だった。

 

 だが、間もなく伊勢に向かう犬が次々に目撃されるようになる。そんなことが本当にあるのだろうか。江戸時代の犬について研究し、『犬の伊勢参り』(平凡社新書)を著した仁科邦男は、こう推測している。最初に伊勢参りに行った犬は、ふだん遊び相手をしている子どもたちや、可愛がってくれる人間についていったのではないか。犬は犬好きの後をついてくる。そうすれば食べ物がもらえるし、泊まるところも見つかる。そうこうするうち、自分の代わりに犬を伊勢に送る人間が現れたのだ。特に東北地方のように、簡単には行けない地域から送り出された。さらに、飼い主が知らないうちに伊勢参りに行く犬まで登場した……というわけである。

 

 寛政12年(1800)、山形県津島村に住む菅原九左衛門宅から、犬がいなくなった。そして1年後、お札と銭一貫七百文とを身につけて戻ってきた。これには飼い主も驚き、村の名主に書面で報告している。おそらく犬は、居合わせた人々によって導かれ、宿場から宿場へと送り継がれていったのだろう。宿場では犬を荷物として受け取り、人足をつけて次の宿場に送ったものと思われる。その犬には、役人が書いた送り状がついていた。

 

 文化10年(1813)には、「御犬」と書かれた長州藩の犬が伊勢に向かった。この犬は途中で出産し、子連れになって広島に入る。長州藩の犬ということで、係の役人に対して書かれた文書が、大正時代に編纂された『広島市史』に残っている。その文書には「この犬は長州藩の御家中から送り出されたので、滞りなく宿から宿へ送ってもらいたい」「座敷に上げ、就寝時には座布団でも出してやってもらいたい」と書かれていたと記録されている。

 

 この頃には伊勢参りに、今でいうツァーのような仕組みができていて、「御師(おし/おんし)」という添乗員のような専門職もあった。御師は犬の面倒もみたのだろう。犬たちは、社会全体で盛り上がっていた伊勢参りの一員として認められていたのである。

 

 しかし、犬の伊勢参りも明治維新の後に姿を消し、やがて真偽のわからない伝説となって忘れられていた。その史実を掘り起こし、実在したことを証明したのが日本犬保存会創立者の斎藤弘吉である。

 

 斎藤は各地を実地調査に回り、昭和7年(1932)、会誌『日本犬』創刊号に「本邦犬の伝説 犬の伊勢参り」という文章を書いた。そこで紹介された史実の一つが、生後3ヶ月で伊勢参りに行った子犬の話である。

 

 山梨県上野原村には、安政6年(1859)に伊勢参りをした犬の碑が現存していた。伝承によると、その地に住む奈良重三郎という男が、子犬を抱いて立っていた時のこと。たまたま伝馬(てんま)衆が通りかかったので、何気なく「この犬を伊勢参りにやってくれ」と言ったら、受け取ってくれたのだ。

 

 伝馬衆というのは大名行列が通る時に、人足として駆り出された村人のことである。やがて犬が無事に戻ってくると、村人たちは喜んで祭りを開いた。そして、これほどの犬は村中で飼おうということになって、「伊勢」という名をつけてかわいがったのである。その3年後に伊勢が病死すると、村の中ほどに碑を立てたのだった。

 

 斎藤は碑の写真と拓本を取るため上野原を訪れ、村人たちから話を聞いている。奈良家には、犬が泊まった宿の名前や所持金額、犬に賽銭(さいせん)をくれた人の名前などを書いた紙が風呂敷ひと包みもあったそうだが、すでに全て捨てられていた。石碑は当時、上野原市新井の明神社内にあった。この犬は今でいう甲斐犬だったと思われる。

 

 この事例からもわかるように、見ず知らずの犬を多くの人が助けながら、伊勢参りを成功させたのである。単独で伊勢参りができる下地があったのだ。整備された街道と、何よりも戦乱と無縁だった江戸時代の平和が、犬の伊勢参りを可能にしたのだろう。さらに想像でつけ加えれば、江戸の人々の遊び心もあったのではないだろうか。「おう、犬にも伊勢参りをさせてやろうじゃないか」というような。

 

 だが明治維新は、社会の在り方も犬と人間との関係も変えた。明治4年(1871年)には、参拝者の面倒を見る御師制度も廃止される。明治7年(1874年)12月18日付横浜毎日新聞のコラムが、犬の伊勢参りを伝える最後の記録になった。

 

 そのコラムは、「犬の伊勢宮に参ることは古くから言い伝えたるが、この頃聞きしはいと珍しきものというべし」と記している。こうして、伊勢参り犬は歴史の彼方に消えていった。

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川西玲子かわにしれいこ

1954年、東京生まれ。(公社)日本犬保存会会員。専門学校や大学で講師を務めた後、現在は東アジア近代史をメインに執筆活動を行う。主な著書に『歴史を知ればもっとおもしろい韓国映画』、『映画が語る昭和史』(ともにランダムハウス)、『戦時下の日本犬』(蒼天出版)、『戦前外地の高校野球 台湾・朝鮮・満州に花開いた球児たちの夢』(彩流社)など。Amazonに著者ページあり。

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