×
日本史
世界史
連載
ニュース
エンタメ
誌面連動企画
歴史人Kids
動画

吉田松陰を黒船から遠ざけたのは犬だった! 幕末の歴史を変えたのは犬だった!?

日本人と愛犬の歴史 #02


幕末は日本史上もっとも劇的で、歴史ファンにとって興味の尽きない時期の一つだ。またエピソードの宝庫でもあり、それらの一つひとつが研究によって深掘りされている。その幕末を、犬に視点を絞って見てみるとどうなるだろうか。意外や意外、これがなかなか面白い。大文字で語られる歴史には出てこない、当時の人々の息吹、社会の別の側面が見えてくるからだ。


 

■ 幕末を生きた犬たちの実態は?

 

 そもそも幕末、日本の犬たちはどういう暮らしをしていたのだろうか。といっても、その辺でたむろしている犬のことなど普通は気にしないので、日本人による記録はあまりない。ただ、幸い外国人による記録が残っている。未知の世界だった東洋の異国に来た彼らにとっては、犬の様子も珍しかったのだろう。

 

 それを教えてくれるのが『犬たちの明治維新 ポチの誕生』(仁科邦男著,草思社)という本だ。幕末から明治にかけての資料を丹念に読み込み、犬についての記述を拾い集めてまとめ、そこから時代相まで浮き彫りにした力作である。

 

 この本に紹介されている外国人の著作は、今でもほとんどが文庫などで読める。例えば『ヒュースケン日本日記』(岩波文庫)だ。ヘンリー・ヒュースケンは、安政3(1856)に来日した初代アメリカ公使、タウンゼント・ハリスの通訳官だった。

 

 ヒュースケンは外交的な性格で、下田の町を歩きまわっては吠える犬たちに悩まされていたらしい。「犬などは月に向かって吠えるだけのはずなのに、何をどう間違えてか、われわれを見るとひどく騒ぎ立て、町中の犬の大合唱になり(中略)、われわれの跡をつけて町はずれまでくると、そこで郊外の犬に吠える権利を譲渡するのである」と記されている。

 

 つまり、当時の犬たちはそれぞれ縄張りを持っていて、町では町犬が吠え、町を出て村に入ると、今度は村の犬たちが吠え始めるのだという。この記録を残したヒュースケンは万延元年(1861)114日、攘夷派(じょういは)の志士に襲われて死亡した。幕府は遺族に1万ドルの弔慰金(ちょういきん)を支払った。

 

 安政5(1858)には日英修好通商条約締結のために、イギリスからエルギン卿使節団が来日した。その一行の中に、ローレンス・オリファントという人物がいた。このオリファントもまた、幕末の犬について貴重な証言を残している。

 

 表現に問題があるが、敢えてそのまま引用する。「日本の街には犬がはびこっている。コンスタンチノープルの惨めで汚らしい野良犬や、インドの宿なしの類ではない(中略) 耳と尾を立てて傲然と走っていく。横町で出会うと実に恐ろしい。彼らは種族として、これまで私が見たもっとも見事な街の犬である」(『エルギン卿遣日使節団』雄松堂書店より)

 

 戦乱や飢餓、地震、虐待など様々な苦難があったにもかかわらず、幕末の犬たちの多くが決してみじめな様子ではなかったという話には、少しホッとさせられる。

 

 また、長崎のオランダ商館員だったファン・オーフィルメール・フィッセルも、『日本風俗備考』(平凡社)にこう書き残している。「犬と猫は日本にたくさんいる。特に犬は街犬(町犬)と呼ばれているものに属している。実際には、誰も飼い主がいないのだが、彼らは街中をさまよっている。そして、街角のある場所で、十分な食べ物を見つけることができる」

 

 当時町には町の犬、村には村の犬がいた。犬たちは特定の飼い主も名前も持たず、地域共同体と緩くつながっていたのである。犬は当たり前のように、いつも何となくそこにいる存在だったのだ。

 

ちなみに、町犬や村犬は野良犬とは異なる。長屋や横丁、神社やお寺などを寝ぐらとし、近所の住民や顔見知りの人々から食べ物をもらって暮らしていた。代わりというわけではないが、子どもの遊び相手になり、不審者が来れば吠えて共同体の一員としての役割を果たし、その存在を認められていたのである。そして、飼い犬も町犬や村犬と一緒に歩き回っていた。この共同体に入っていない犬だけが、完全な野良犬だった。

 

 犬は江戸時代、伊勢参りにも行っていた。最初は人間について行っていたのが、次第に単独でも行くようになったのだ。宿場町から宿場町へと、役人が送り状をつけて助けることもあったという。江戸時代の平和、整備された街道、犬に伊勢参りをさせてやろうという洒落心などが、犬の伊勢参りという奇跡のような出来事を支えていたのである。そして何より、共同体の一員として認められていたからこそ、犬は単独で伊勢参りができたのだろう。

 

左側には犬と戯れる母子が描かれている。江戸時代は飼い犬も自由に外を歩き回り、町や村ではそこで暮らす犬が人々と共存していた。
『江戸年中風俗之絵』/国立国会図書館蔵

■日本の歴史を変えた犬たち

 

 そんな村の犬が、意外なところで幕末の動乱に関わった。嘉永6(1863)、マシュー・ペリーが率いるアメリカの艦隊が浦賀沖に現れ、日本は上を下への大騒ぎになった。そんななか、あの吉田松陰(よしだしょういん)が西洋の先進文明を身につけようと密航を企てたのである。

 

 夜になるのを待って、松陰は弟子の金子重乃助(かねこしげのすけ)と浜辺に出たのだが、目星をつけておいた小舟がない。仕方なく二人は別の小舟を使おうと探し回った。その時、村の犬たちが浜辺をうろつく2人に気づき、集まってきて吠え始めたのだった。

 

 松陰はこの時のことを『回顧録』でこう振り返っている。「是時(このとき)、村犬群れ来たり吾(われ)を吠ゆ。余咲って(わらって)渋生(金子重乃助のこと)に謂いて曰く『吾初めて盗みの難きを知る』」

 

松蔭はもう一度挑戦して、今度は何とか黒船に乗り込むことができたのだが、乗船を拒否されて降りざるを得なかった。そして、安政の大獄で処刑されてしまう。

 

 このように村の犬たちは共同体の番犬として役割を果たし、不審者を追い払おうとして松陰の前に立ちはだかった。その役割は人間と共存するなかで、日本の犬が長い時間をかけて選び取り、担ってきたものだと言える。

命がけで黒船に乗船しようと試みた吉田松蔭。1回目に無事乗船できていたら、その後の顛末と日本の歴史が変わっていたかもしれない。
狩野内膳『南蛮屏風』/神戸市立博物館, Public domain

KEYWORDS:

過去記事

川西玲子かわにしれいこ

1954年、東京生まれ。(公社)日本犬保存会会員。専門学校や大学で講師を務めた後、現在は東アジア近代史をメインに執筆活動を行う。主な著書に『歴史を知ればもっとおもしろい韓国映画』、『映画が語る昭和史』(ともにランダムハウス)、『戦時下の日本犬』(蒼天出版)、『戦前外地の高校野球 台湾・朝鮮・満州に花開いた球児たちの夢』(彩流社)など。Amazonに著者ページあり。

最新号案内

『歴史人』2025年10月号

新・古代史!卑弥呼と邪馬台国スペシャル

邪馬台国の場所は畿内か北部九州か? 論争が続く邪馬台国や卑弥呼の謎は、日本史最大のミステリーとされている。今号では、古代史専門の歴史学者たちに支持する説を伺い、最新の知見を伝えていく。