江戸時代の伝統的な”大人のおもちゃ”「肥後ずいき(ひごずいき)」【江戸の性語辞典】
江戸時代の性語51
江戸時代の「性」に関する言葉は現代まで使われているものから意味が変化したもの、なくなってしまったもの……。時代とともに変化した言葉の変遷をみるのも楽しいぞ!
■肥後ずいき(ひごずいき)
里芋の皮を干して作った性具で、陰茎に巻き付けて使用する。現代のバイブのようなもの。

【図】肥後ずいき(下段、左から二番目/『笑本邯鄲枕』竹原春潮斎、安永八年頃、国際日本文化研究センター蔵)
(用例)
①『和漢三才図会』(正徳~享保)
「さといも(芋)」の項に、次のようなくだりがある(漢文を読下した)。
これを煮て食う、柔にて味淡甘し。皮を剥きて、これを乾せば正白色、干瓢(かんぴょう)の如し。肥後の産、最も佳(よ)し。壮夫以て春意の用と為す。
里芋の皮は食用になった。いっぽう、剥いた皮を干すと真っ白な干瓢のようになり、これを「壮夫以て春意の用と為す」で、成人の男は閨房の道具として用いる、と。つまり、「肥後ずいき」である。
『和漢三才図会』は当時の百科事典であり、その記述に誇張はない。
少なくとも正徳期(1711~16)までには、肥後ずいきが性具として用いられ、多くの人もそれを知っていたことがわかる。
なお、ずいきは肥後(熊本県)産がもっとも品質がよいと述べている。これが、「肥後ずいき」と称されるようになった理由であろう。
②春本『喜能会之故真通』(葛飾北斎、文化十一年)
彼岸に六カ所の阿弥陀仏を巡拝するのを六阿弥陀詣でといい、江戸で盛んにおこなわれた。
母親が六阿弥陀詣でに出かけたのをさいわい、娘が男を家に引き込み、昼間から性行為を楽しむ。
この機会に、男は日ごろからためしてみたいと思っていた肥後ずいきを巻いて挿入した。
男「こうこう、彼岸はあろうものだ。昼中にこういう手際ができるというもんだぁ。肥後ずいきの巻き塩梅(あんばい)はどうだ、どうだ」
女「よいね、よいね、昼はひとしおいいわなぁ。そしてね、もうおっ母さん中日には六阿弥陀さまへ、うふふうふふう、行くからと、ふうふうすうすう、言いなさったが、ええもう、あのふううふうう、四番目あたりへ、はああ……」
女はこみあげる喜悦の波にあおられ、息が弾んで、もう呂律(ろれつ)が回らなくなるほどだった。
③春本『春色一休問答』(柳川重信二代、天保末期)
男が、肥後ずいきを巻いた陰茎を挿入しようとする。
女「そんな物を巻いたら、気味が悪いようでございますにえ」
男「この胴っ腹でこすってみねえ。どんなにいいいか知れやぁしねえ。まあ、ちょっと、おあがんなすって、おためしなさいだ」
男は自信満々である。これまで、ほかの女と肥後ずいきを巻いて性交をしたことがあるようだ。
④春本『旅枕五十三次』(恋川笑山、嘉永年間)
東海道の宿場蒲原(静岡市清水区)について。
名物肥後ずいき。女悦の具也。この辺の名物にして、常の芋がらと事変わり、その色白くすべすべとして、やわらかく、いたって美しく晒(さら)したる物也。巻き方は、頭より掛け、綾を取りて根元にて止める。なかにてふやけ、抜き差しに気味よし。
膣のなかで肥後ずいきの成分が分泌し、女の官能を高める。さらに、抜き差しのたびに女はえも言われぬ快感にみちびかれる、という。
肥後ずいきは蒲原の名物としている。『旅枕五十三次』の刊行は『和漢三才図会』のおよそ百五十年後である。
百五十年のあいだに、当初は肥後の名産だったものが各地に栽培が広がり、ついには肥後ずいきは蒲原の名産と称されるようになったのだろうか。
⑤春本『艶道文花選』(北尾重政)
妻は夫の陰茎を、いつもより大きいと感じ、
「今宵はどうして、おまえの物は大きくなりやした。肥後ずいきとやらでも巻きはしなさらんかえ。ああ、あれ、いっそ……」
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