死者10万人の火事の原因を「江戸幕府」が隠ぺいしていた!?
日本史あやしい話2
江戸時代前期に起きた明暦の大火は、俗に「振袖(ふりそで)火事」とも呼ばれている。とある少女の怨念が振袖に乗り移ったことが、災いの元になったと言い伝えられているのだが、それって本当のことなのだろうか?
■失恋の「振られる」は振袖が語源?

月岡芳年『松竹梅湯嶋掛額』国立国会図書館デジタルコレクション
「振袖の袖には魂が宿っている」。由来はわからないが、かつてはそう信じられていたようである。誰の魂が宿るかといえば、もちろん、振袖を着る人の魂である。
そのためか、振袖は「求愛」の意思表示に使われることもあった。袖を横に振ると求愛を受け入れる意思、縦に振ると拒絶の意志を表したのだとか。現代でもよく使われる「振った」「振られた」の表現は、これが元になったとの説もある。
また、拒否の意思を言い表した「袖にする」という言葉も、「袖を引い」て、すがる手を振り払ったと考えるとイメージにピッタリ合う(そんなふうに粗雑に扱われたときは、早々に諦めるのが無難だろう)。
元来、「袖を振ること」は、ケガレを祓うこと、つまり清めに通じるといわれる。それがもととなって、袖の長い振袖が、人生の重要な節目である成人式などで着られるようになったというのだ。
ちなみに振袖とは、未婚の女性の正装である。女性が結婚すれば、振袖の袖の袂(たもと)を短く切って使用した。嫁入りの場合、女性は婚姻すれば父母と離れ離れとなる。婚姻を契機として振袖の袖の袂を切るので、袂を切ることは親子の別れを意味することにつながる。そこから、「袂を別つ」の言葉が生まれたとも考えられる。
いずれも、人と人の縁を繋いだり離したりするわけだから、振袖にはある種の呪術につながる威力が込められたものともいえるだろう。
そういえば、古来より、ひらひらと揺らめく長い領布(ひれ)なるものに魂が込められていると見なされていたことを思い出す。かのオオクニヌシ神が、義父であるスサノオ命から数々の試練を受けた際、妻・スセリビメ姫から呪術に用いる領布を手渡されたことがあった。
『古事記』には、領布を振れば蛇やトカゲを追い払うことができたと記されている。領布に底知れぬ呪力が込められていたからである。それゆえ、領布はとても貴重なもので、新羅から渡来してきた王子・アメノヒボコが神宝としてもたらしたのも領布であった。
この領布と、振袖の袖とがどのような因果関係で結ばれているのかわからないが、ヒラヒラと揺れ動く様相は同じ。なんらかの繋がりがあるように思えてならない。
■門が閉ざされ、人々は逃げ場を失い…
さて、長々と振袖にこだわってしまったが、本題はここからである。この振袖が元となって、江戸時代初期に、とんでもない災難に発展してしまったことがあった。それが、俗に言うところの振袖火事(明暦の大火)である。
火事が起きたのは、明和3(1657)年1月18日の昼過ぎのことであった。出火元は、本郷丸山の本妙寺といわれる。ここから風に煽られて、炎は神田、京橋に及び、ついには隅田川をも超えた。
悲惨なことに、近くに獄があった浅草橋の門が、囚人の脱獄を恐れた役人によって閉ざされてしまった。そのため、多くの住人が逃げきれずに焼け死んだといわれる。つぎつぎと延焼し、結局、江戸城外堀以内のほぼ全域が消失。死者数3万〜10万という大災害となったのである。
この火事の発端となったのが、とある振袖に取り憑いた怨念だったというから穏やかでない。怨念の主とされるのは、麻布の裕福な質屋の娘・梅乃(「おきく」とも)であった。
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