見るだけじゃもったいない! 文化財と“遊ぶ”方法とは?
[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #080
「文化財」といえば貴重な歴史的遺物だが、博物館などに実物展示されている「もの」との接し方で、何
か面白い工夫はないものだろうか? それがわかれば、展示物を通して歴史をもっと身近に感じられるはずだ。
ルールを知れば面白い! 「古文書学」のすすめ

徳川家康の黒印が捺された御内書(ごないしょ)。対馬府中藩主・宗 義智(そう よしとし)宛てで、対馬から度々朝鮮人参と卓が届いたことへの返札がしたためられている。
(『徳川家康黒印状』/九州国立博物館蔵 出典:ColBase)
博物館や資料館に行くと、様々な文化財が展示されています。しかし、特にガラスケースに広げてある古文書(こもんじょ=手紙をはじめとする文書)などは、難しい文字が並んでいるので説明書きのキャプションをチラリと見るだけで歩を進めがちです。
しかも、江戸時代のくせ字がのたくった書状などは、何が書いてあるのかさっぱりわかりませんから興味がわかないかもしれません。また、手紙などの古文書史料は、どこから書き始めなのか、文がどうつながっているのかがわかりにくいですね。
それもそのはずで、古文書には当時のルールがありまして、それを知らないと書き出しすらわからないことになってしまいます。「古文書学」という学問があり、少しかじると当時のルールがわかります。
一枚の奉書紙(ほうしょし)を横半分に折って使うのを「折り紙」といいます。ですから広げると、真ん中の折り目から上下反転したようになってしまいます。今でも確かなものに対して「折り紙付き」というのは、見る目のある人がそれを保証するときに使いますが、元々はその保証書が折り紙式のものだったのが語源です。
個人的な手紙の場合、奉書紙の右側は広く開けて書き出します。そして行間をわりと大きく開けながら左端まで文が続きます。しかし書ききれなかった場合、一番右の空白部分に戻って、三段ぐらい低く続きを書きます。さらにそれでも書ききれない場合は、本文の行間にやや小さな文字で書き続けます。そんなルールがあるとは思いませんから、現代人はガラスケースの中に広げられた手紙の類は読めなくて当たり前でしょう。
紙片に限りがありますので、具体的にお伝えする余裕はありませんが、「古文書学」などとネット検索してみてください。昔の手紙が少しでも読めるようになるとそれなりに楽しいものですよ。
気分はタイムスリップ! 文化財の楽しみ方
さて、文化財の楽しみ方ですが……。実は私の場合、手紙などが広げられているようなら、ガラスケースにぶつからないように気をつけながらその手紙を手に持って読むぐらいに顔を近づけて楽しみます。私はそれを「タイムマシン的時空超越法」と勝手に呼んで楽しんでいます。

安房国(あわのくに)の戦国大名・里見氏に伝わった古文書。8巻2通あり、文書群の後半には、里見家の旧臣たちによる御家再興に関わる内容が記されている。中央の折り目から下半分は、文字が上下反転している。
(『里見家伝来文書』/東京国立博物館蔵 出典:ColBase)
例えば、幕末に数多くの手紙を残した坂本龍馬の手紙を見たとしましょう。顔を近づけると、その手紙を書いていた龍馬の顔の位置に自分がいます。そして、それを読んでいた乙女姉さん(龍馬の姉)の顔の位置に自分がいるのです。
また、伊達政宗は筆自慢だったらしく、自筆の古文書が結構残っています。これも同じように、独眼竜の顔の位置に自分が重なります。
もっと遡って、奈良時代になると楷書(かいしょ)で右からきちんと書かれているので、文字を追えば意味が分かります。光明皇后(こうみょうこうごう)や聖武天皇(しょうむてんのう)がなさった自筆写書などをそういう方法で拝見すると、時空を超えて耳元に光明皇后や聖武天皇の吐息を感じるような、震えるような感激を覚えることがあります。
名も知れぬ写経生(しゃきょうしょう)が一生懸命書き写して、誤字に紙を貼られて修正されているようなものでも、同じように彼らの息吹を感じます。
それは、法隆寺の「玉虫厨子(たまむしのずし)」なんかでも同じです。推古天皇や蘇我馬子(そがのうまこ)、それにもちろん聖徳太子が拝んだのと同じ場所に自分が立って、その空間を共有するのです。文化財に対して、彼らが立っていた空間に自分が重なっているわけです。
博物館や資料館に展示されている本物の迫力を実感して、時空を超越するような歴史上の人物との空間の共有を楽しみませんか? まさに歴史上の人物が見たままを、時を隔てて自分も見ているわけですからね! そんな楽しみ方もあるんですよ!

法隆寺・西院伽藍(さいいんがらん)。大宝蔵院には文化財の実物が間近に展示されており、時間が経つのを忘れて楽しめる。(撮影:柏木宏之)