『古事記』『日本書紀』に記された感染病の恐怖
[入門]古墳と文献史学から読み解く!大王・豪族の古代史 #077
1万3千年以上も固有の文化を維持した縄文時代のことを考えると、日本列島の歴史の長さを実感する。しかし、ほぼガラパゴス的に孤立した状態で、長い年月を平和に暮らしていた縄文人と弥生人が出会った際に、どんな事態が起こったのだろうか?
古代から日本列島を襲っていた感染病

第10代崇神天皇のときに創始された大神神社の参道(筆者撮影)。
2019年に世界的感染症として新型コロナが問題となりました。日本列島でもすぐに感染者が発見され、瞬く間に広がってパンデミックとなりました。それもそろそろ落ち着いたのか、呼称も「コロナ2019」となるそうです。抗体を持たない新型のヒト伝染性ウィルスは、ものすごい勢いで人から人へ感染し、大変な事態を巻き起こしました。
日本列島における伝染病史は、古くは『古事記』『日本書紀』にも記述があります。
例えば、第10代崇神(すじん)天皇のときに疫病と飢饉(ききん)が国中を襲って、国家の維持が危機に瀕したことがあったようです。この時に「三輪山祭祀(さいし)」が始まります。
天孫族の子孫であるはずの大王は、三輪山に大物主大神(おおものぬしのおおかみ)という国津神(くにつかみ)を祀(まつ)って、同床に祀っていた自分たちの祖先神である天照大神(あまてらすおおみかみ)を伊勢の地に追い出してしまいます。
このときの疫病が何だったかはわかりませんが、その後も日本列島は恐ろしい疫病に何度も襲われます。
また、聖徳太子が活躍を始める飛鳥時代直前にも疫病が襲い掛かり、数多の民が命を落としています。あろうことか、太子の父親である用明天皇も大嘗祭(だいじょうさい)を執り行う前に崩御してしまいます。そして、皇位継承の争いから丁未の乱(ていびのらん)が勃発して、物部守屋(もののべのもりや)が倒され蘇我馬子(そがのうまこ)が実権を掌握します。
まさに飛鳥時代の始まりは、疫病がきっかけだったともいえるのです。
それから数十年経って、聖徳太子の母である穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)も太子の妻も、太子自身も続けて亡くなります。これも何らかの感染症、もしくは伝染病であったのではなかったかと考えられます。
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