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寛政の改革の陰に「大奥の女たちの力」あり

女の園・大奥の謎【第9回】


8代将軍徳川吉宗(とくがわよしむね)の孫として生まれ、祖父に倣(なら)って改革を進めた松平定信(まつだいらさだのぶ)。彼が老中に就任した時にも、辞任した時にも大奥が関与したという。


松平定信の墓所
東京都江東区の霊巌寺にある。塀と扉に阻まれて中には入ることはできない。国指定の文化財に指定されている。

 江戸時代の三大改革といえば、享保(きょうほう)の改革、寛政(かんせい)の改革、天保(てんぽう)の改革である。いずれも財政難に陥った幕府の財政を立て直すために行われた。このうち寛政の改革の敗因は大奥にあるといわれているのが、本当だろうか。

 

 寛政の改革は、享保の改革を行った8代将軍徳川吉宗の孫である白河藩主で老中松平定信が行ったもの。定信は祖父である吉宗を尊敬しており、吉宗の享保の改革をお手本にしたといわれている。

 

 倹約、質素を励行する中で、大奥に目を付けたのも、吉宗に倣ったのだろうか。大奥の費用は莫大で、これを縮小しようと吉宗はリストラを断行した。それが美人のリストを作らせ、リストに記された者に暇(いとま)を取らせたという方法だ。大奥の主である将軍に、しかも「美しいから」といわれては、リストラの対象になった本人も抗議しにくかったであろう。この時、暇を出されたのが50人余。その後もリストラが進み、3分の1以下にまで人数を減らした。吉宗は人を減らすことにより、人件費を抑え、大奥の予算削減を実現させた。

 

 さて、寛政の改革以前の大奥の年間経費が20万両。1両を12万円として換算すると240億円になる。これをどれだけ減らせるかが、この改革の鍵だと定信は考えた。大奥とは、将軍家族が生活する場所である。将軍自らが模範を示さないと、示しがつかないということだろう。

 

 大奥の会計を担当する役人を入れ替え、財政を担当する勘定所も厳しくチェックし、経費を削減する。つまり、大奥の財布の中に手を突っ込んだのだ。何をどうカットしたのかは明らかになってはいないが、この過程で大奥の実力者である御年寄(おとしより)の大崎と大喧嘩の末、彼女を解任している。大崎は、田沼意次(たぬまおきつぐ)失脚後、田沼派が幅を利かせる幕閣たちを一掃するために重要な役割を果たしたとされている。定信は、自分の理想のために恩人を権力の座から引きずり下ろしたのだ。

 

 それでも大奥の女性たちの反撃にあい、どうしても削れなかったものがある。それが、室内で履く上草履(うわぞうり)、現代に例えるとスリッパだ。これは、大奥の御年寄が、将軍の正室である御台所の居間へ行く時にこれを履くのだが、一度履いたら2度と使用しない。御年寄は、大体45人おり、観台所の居間に行くたびに新品を下していたら1日に何十、何百も使い捨てることになる。これを1人1日1足に限定しようとしたのだが、猛反発を受けて、この提案を引っ込めてしまったという。

 

 こうした失敗はあったものの、寛政の改革によって大奥の財政を3分の1にまで減らすことができた。しかし、上草履の一件にあるように、大奥の女性たちは、定信のやり方に不満を抱えていた。

 

 繰り返しになるが、大奥とは将軍の家族が生活しているところである。寛政の改革当時の将軍は、11代将軍徳川家斉(いえなり)、50人以上もの子をなした人である。贅沢(ぜいたく)が好きで、毎日のように大奥に泊まっていたようだ。大奥に泊まるたび、顔を合わせる女性たちに、定信に対する愚痴を聞かされたとしたら……。褥(しとね)で女性が将軍におねだりなどをしないよう監視がついてはいたが、その監視役も同じ思いを抱いていたとすれば……。

 

 寛政5年(1793)、松平定信は老中と将軍補佐役を辞任。辞めざるを得ない状況に追い込まれたという。彼の改革の進め方が幕府の役人たちの反感を買っていたからだといわれているが、大奥の女性たちの声も反映されていたのかもしれない。

 

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加唐 亜紀

1966年、東京都出身。編集プロダクションなどを経てフリーの編集者兼ライター。日本銃砲史学会会員。著書に『ビジュアルワイド図解 古事記・日本書紀』西東社、『ビジュアルワイド図解 日本の合戦』西東社、『新幹線から見える日本の名城』ウェッジなどがある。

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