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エサ代だけで年間100万円!? 「大奥」の贅沢三昧な“お猫様”の暮らしぶりとは?

女の園・大奥の謎【第6回】


大奥では、ペットを飼うことが大流行。猫と狆(ちん)が人気を二分していいた。大河ドラマの主人公にもなった篤姫の愛猫への溺愛ぶりを紹介する。


 

画面左側くす玉のようなものにじゃれついているのが狆。この様子を見ている女性たちの目尻が下がっているように見えるのは気のせいだろうか。「千代田の大奥 狆のくるひ」出典:国立国会図書館「NDLイメージバンク」

 みなさんはどんな動物がお好きだろうか? 現在の日本はペットブームだそうで、ペットとしては犬と猫の人気が高く、犬派、猫派という言葉も生まれているし、それに関係する商品や犬や猫をモチーフにした様々なグッズも売られている。

 

 大奥でも、現在の日本のように、ペットを飼うことが流行していた。大奥の女性たちは、覚悟をして来たとはいえ、外出することも、外部の人に会うこともままならないという不自由な生活を送らなければならない。将軍の子を産んだとしても自分で育てることもできない。その代償としてペットに愛情を注いだとしても仕方のないことなのかもしれない。

 

 大奥で人気のあったペットは猫と狆で、人気を二分していた。狆? 現在では聞きなれない名前かもしれない。狆とは古くから日本で飼われていた体高2030センチメートルほどの毛足の長い小型犬。当時は、なぜか犬とは違う生き物だと考えられていたようだ。

 

 狆は大人しい性格で賢い。吠えたり、噛みついたりすることもない。抜け毛が少なくて、体臭もきつくない。その上、運動量も少ないので、広い室内で飼えば、散歩に連れて行かなくてもすむという非常に飼いやすい犬である。

 

 狆は、五代将軍徳川綱吉(とくがわつなよし)の時代に江戸城内で飼育されていたそうだ。大奥だけでなく、吉原の女性たちも愛玩(あいがん)していたといい、浮世絵などでは、女性たちと共にかわいらしい姿が描かれている。

 

 しかし、明治になって外国から様々な種類の犬が入って来ると、人気がそちらに移ってしまい、大正時代には急激に数を減らし、現在では希少種となってしまった。

 

  十三代将軍徳川家定(いえさだ)の継室(けいしつ)であった篤姫(あつひめ)は、当時人気のあった狆を飼いたかったが、家定が嫌いだったため、猫をペットにする。最初に飼ったのがミチ姫で、ミチ姫が亡くなってからはサト姫という猫を飼っていた。

 

 この猫、なんと専属のお世話係が3人もいたという。紅絹(もみ)の紐に鈴を下げていて、この紐は毎月取り換える。食事は、篤姫と一緒。猫用の御膳にはアワビの貝殻を模した瀬戸物がのっており、普段はここに篤姫のお流れを入れてもらっていた。しかし、江戸城では、先祖の命日などは精進日として肉や魚を食べることができない。そのため、精進日には猫にカツオ節とドジョウが出されたが、この餌代だけで、年間25両(幕末なので、1両4万で換算して100万円)になった。ちなみに、この当時、住み込みで働いていた下働きの女性の給金が年間で3両程度だった。

 

 豪華な食事でおなかが一杯になった後は、篤姫の裾の上や、ちりめんの布団を敷いた籠(かご)の中で眠るという、とても贅沢な生活を送っていた。

 

 サト姫はとても賢くてお行儀がよく、他の部屋に紛れ込んだ時などは「お間違い、お間違い」というと、じきに出て元の場所に戻って行く。世話係たちがお下がりを食べているところに来た時には、紙に包んで分けてやると、紙をくわえて自分の御膳まで運び、そこで食べたそうだ。

 

 贅沢三昧では短命だったのではと思うが、サト姫は16歳という現在でも長寿といわれる歳まで生きた。

 

 

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過去記事

加唐 亜紀

1966年、東京都出身。編集プロダクションなどを経てフリーの編集者兼ライター。日本銃砲史学会会員。著書に『ビジュアルワイド図解 古事記・日本書紀』西東社、『ビジュアルワイド図解 日本の合戦』西東社、『新幹線から見える日本の名城』ウェッジなどがある。

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