憧れの職場「大奥」は衣食住が保障されたホワイトな職場だった⁉
女の園・大奥の謎【第7回】
大奥の手当は非常に厚く、本給に加えて、衣装代、化粧代、食費、使用人の給与が支給されたほか、光熱費は現物支給。その上、サイドビジネス用の町屋敷まで与えられていた。

武家の礼装用の打掛。刺繍、描き絵、型染で模様を表した非常に手間がかかっている。大奥の女性たちはこうした豪華な打掛を合力金で購入していたのだろうか。打掛白綸子地立涌花束模様(東京国立博物館蔵/出典:ColBase https ://colbase.nich.go.jp/)
江戸時代の女性たちのあこがれの的だった大奥勤め。きらびやかな衣装を着て、うまくすれば出世も可能。時の老中に引けをとらないほどの権力も持ち、その上高給取りであったという。では、彼女たちはどれぐらい給与を貰っていたのだろうか。
大奥の奥女中と呼ばれる人々は、幕府に仕える現在の国家公務員のようなもの。当然給料は幕府から支払われる。大奥には奥女中だけでなく、彼女たちが私的に雇っていた部屋方と呼ばれる女性たちもいた。部屋方の給料は、女中たちが幕府からもらうものの中から支払われる。今回はこちらではなく、奥女中の給与について紹介しよう。
奥女中たちの給与は、役高といい、役職に対してもらうものが決まっていた。江戸時代の武士は、家禄(かろく)といって代々家に対して支給されているが、奥女中たちは一代限りである。
現在の基本給に相当するものは切米(きりまい)といい、米で受け取る。これを浅草の御米蔵(おこめぐら)から受け取り、現金に換える。ここまでは、米で禄を受けている幕臣たちと同じだ。しかし、幕臣たちが、年に3回受け取っているのに対して、奥女中たちは夏と冬の2回だけであった。基本給に加えて様々な手当が支給されるのも奥女中の特徴。一番大きなものが「合力金(こうりょくきん)」と呼ばれる衣装・化粧手当だ。もともとは、大名たちが奥女中たちに着物を贈っていたのだが、それが廃止された時に、春日局(かすがのつぼね)が異を唱え、以来、大名たちに強制的に献金させたものの中から拠出する。
その次に大きいのが扶持米(ふちまい)だろう。これは、切米とは別で、日々食べるための米である。現在にたとえば給食費といったところだろうか。奥女中本人の分に加えて奥女中が雇っている部屋方の分も支給される。たとえば、10人扶持といえば、奥女中本人プラス9人なので、9人の部屋方を雇うことができた。ただし、かならず9人部屋方を雇わなくてはいけないということではない。女性なので、男性よりも食べる量が少ないということだろうか、幕臣の場合1人扶持は1日5合であったが、奥女中の場合は1日3合であった。
このほか、暖房用の炭、炊事用の薪、風呂の燃料用の湯の木、照明用の油が現物支給される。さらには、米以外の味噌や塩などを購入などの雑費にあてるための五菜(ごさい)銀もあった。
大奥の中で最高位であった上﨟御年寄(じょうろうおとしより)の場合、切米が50石、合力金が60両、扶持米が10人扶持であった。時代によって異なるが、1石を1両とし、1両を12万円とした場合だが、これだけで約1440万円となる。このほか炭15俵、薪20束、湯の木35束、油が適量支給される。五菜銀は、その名の通り銀で支払われる。銀200匁は金に換算すると3両程度だから、36万円になるこれだけもらっていた上﨟御年寄は江戸時代のキャリアガールといえるだろう。
さらに、御年寄と表使(おもてづか)いには町屋敷が与えられる。ここは、町人に貸出して利益を得るためのものだった。当初は、養子をとってこの屋敷を受け継がせることも行われていたようだが、財政難になると、本人が存命中、さらには、在任中だけとなったようである。
一方、一番下の御半下ともなると、切米が4石、合力金が2両、扶持米が1扶持、炭は支給されず、薪は3束、湯の木は2束、油は2人で1人分、五菜銀が12匁となる。食べるのには困らないが、自分の給金だけでは贅沢できなかっただろう。