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秀吉と氏政が眺めた「小田原城」「石垣山城」を“ラッパー”坂間兄弟が追体験!【前編】

坂間兄弟の「KNOW HISTORY, KNOW LIFE」

■発掘調査で偶然発見された史跡とは……?

 

—続いてはこちら、住吉橋と住吉堀。住吉堀は今私たちがいる馬屋曲輪と銅門を仕切る堀ですが、関東大震災後に埋め立てられて小田原女学校が設置されていました。昭和58年から始まった発掘調査では、ここから江戸時代の絵図の通りに石垣の根石が出たそうです。

住吉堀と案内板。


住吉橋をわたる一行。

諏訪間さん:発掘調査では、さらに驚くことに江戸時代の絵図に描かれていない、戦国時代の堀の跡が発見されたのです。

 

D:ということは、北条時代のもの?

 

諏訪間さん:その通りです。「障子堀」といって北条氏が好んで使った堀の跡が出てきました。

 

D:おおおお、堀の底を平らにせず障子のように盛土で仕切ったヤツだ。

 

コーヘイ:館長はその時の調査にも参加されたんですか?

 

諏訪間さん:はい。まあ掘ってる途中で嫁さんも掘り出したんですけどね(笑)。

 

D&コーヘイ:あははははは、それ鉄板ネタ(笑)。

 

—先ほどの住吉橋を渡ると見えてくるのが銅門。馬出門と同様、二の丸の表門にあたる枡形形式の城門で、石垣と石垣の間に櫓を渡した渡櫓門(わたりやぐらもん)です。

明治期に一度解体されたが、近年復元された銅門。

D:平成9年でしたっけ? 復元直後の写真ではピカピカでしたが、いまはだいぶ酸化してますね。

銅門のヒノキについて解説する諏訪間さん。

諏訪間さん:そうですね。ただ、銅は錆に強いので全然大丈夫です。それよりこの柱をご覧ください。馬出門はケヤキでしたが、こちらはヒノキを使っています。

 

コーヘイ:おお、立派! どちらのヒノキなんですか?

 

諏訪間さん:よくぞ聞いてくれました。こちら国産だと1本5000万円で手に入らないんです。なのでどうしたかというと、ラオスから輸入したんです。

 

D5000万! しかもラオスから……

 

諏訪間さん:この丈夫なヒノキが上部にある2本の松の柱を支えており、その松がその上の櫓を支えているという構造です。こういった渡櫓門の特徴は、櫓が見張り台として機能しています。

上部には二本の松の柱が。その上の櫓をしっかりと支えている。

D:分かります。敵が攻めてきた場合、その櫓から石を落としたりするんですよね。

 

諏訪間さん:おっしゃる通りで、非常に防御に優れているんです。石以外にも糞尿を煮炊きして、それを落としたっていう話もありますね。

 

D:ふ、糞尿……最悪。

 

コーヘイ:でも糞尿を煮詰める係はもっとやだなあ(笑)。

 

諏訪間さん:さらに門を閉めると……ほら、下に隙間が空いていますよね。防御側がここから槍を出して敵の足を薙ぎ払うという仕組みにもなっています。

門の下には、守る側が敵の足を薙ぎ払うための隙間が。

コーヘイ:下からの槍をジャンプで避けているうちに、上からは石とか糞尿が降って来るとか、どんな嫌がらせですか(笑)。

 

D:しかも枡形の三方から鉄砲や矢も飛んでくる。攻める方からすれば、まさにデスゾーンだわ。

銅門に向かって左側には、敵を鉄砲などで迎え撃つための穴が開いている。

諏訪間さん:映画などでは、よく閉じた門を丸太でつきやぶるシーンがありますが、それは防御側が逃げ出した場合であって、実際は閂(かんぬき)をかけられたら門は簡単には壊せないですよね。

 

■昭和の名曲にちなんだポーズで……

 

—さて一行は、二の丸御屋形跡にある尋常小学校時代の校舎を改築したNINJA館を駆け足で回り、故・川島なお美さんがよく訪れていたというイヌマキの木を見学して、二の丸からいよいよ本丸へ。と、ここで、諏訪間館長から突然のお願いが。

NINJA館前でのBROTHER顔ハメパネルツーショット。


樹齢500年以上のイヌマキの木。北条氏康もこの木を見ていたかもしれない。

諏訪間さん:ところで、小柳ルミ子さんの『わたしの城下町』という曲はご存知でしょうか? ちょうどこの常盤木門が復元された昭和46年にリリースされたのですが、そのジャケットの撮影現場がこの橋です。

常盤木門へと続く常盤木橋。

コーヘイ:おお! おれが生まれた年だ。

 

諏訪間さん:なら話が早いです。小田原城を公式取材で訪れた著名な方には、同じポーズで写真を撮っていただくことになっています。

 

D:なっている(笑)。

 

諏訪間さん:なっています(笑)。高田純次さんにもやっていただきました。

 

—お二人には本丸にかかる橋の上で、そのポーズをしていただきました。

首の傾げ具合。


やさしさ。

諏訪間さん:ナイスポーズありがとうございました。では私の案内はここまでとなりますが、最後に質問などはありますでしょうか?

常盤木門へと向かう一行。

D:実は友達にDJ大久保ってヤツがいて、そいつが「おれの実家は小田原城だ」って言い張ってたんですよ。それって大久保家の関係ですかね? 司法試験を受けると言ってDJ辞めちゃったんですけど……

 

諏訪間さん:そういえば以前、いま『どうする家康』にも登場している大久保忠世の子孫にあたる方が「弁護士だ」っておっしゃってましたよ。

 

D:へえええ、じゃあ本当だったのか。DJ大久保が忠世の直系っていうのはすごく感慨深いな。

 

●次回は、3月27日(月)に配信します。

 

●今回の「おまけ」

常盤木橋で、小柳ルミ子さんのポージングを自ら指南する諏訪間さん。

構成・文:織江賢治

写真:木嶋光雄

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過去記事

坂間兄弟さかまきょうだい

Mummy-D(兄・坂間大介)

1970年横浜市生まれ。「ライムスター」や「マボロシ」のメンバーとして日本のヒップホップシーンを開拓し、牽引してきた。Mr.Drunk名義でトラックメイカーとしても活動している。最近はドラマ、CM、舞台など役者、ナレーター業でも活躍。また日本の歴史、城好きとしても知られ、クイズ番組の歴史特集の回に度々出演をして好成績を残している。

 

KOHEI JAPAN(弟・坂間広平)

1971年横浜市生まれ。「MELLOW YELLOW」や「FUNKY GRAMMAR UNIT」のメンバーとして、またソロアーティストとしても活動。2007年にポニーキャニオンのKnife Edgeからメジャーデビューし、2010年からは別名義のK.J.として数々のヒット曲を発表した。歴史をテーマにした音楽プロジェクトに参加するなど多数活躍している。

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