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将軍が家臣の「主従」と「序列」を確認した年中行事

「将軍」と「大奥」の生活⑳

■「祭祀の継承者」でもあった徳川宗家の家長

幕府行事の際の決め事を記録した和漢書『幕府年中行事之図』より。ここには正月の年中行事に際しての大名の席順や、献上品を置く場所など、細かな規定が記されている。都立中央図書館特別文庫室

 将軍家の年中行事は多岐にわたる。将軍と家臣(大名・旗本など)の間で実施される行事と、将軍家の「家」としての行事などを併せると、実に多様である。

 

 前者には、大名らを謁見(えっけん)する行事などがある。参府大名が各月の1日、15日、28日に登城する月次御礼、これに加え、年始御礼(正月元日~3日)、上巳(じょうし/3月3日)、嘉祥(かしょう/6月16日)、八朔(はっさく/8月1日)、玄猪(げんちょ)の祝(10月)、歳暮(12月28日)などがあった。

 

 これらは、節句など1年間の節目を、諸大名や旗本とともに祝う儀礼であり、主従関係強化の意味が大きいといえる。一方、後者は「政治向き」である。政治はじめの「判始(はんはじ)め」(正月3日)、庶民の生業を体感する漁猟上覧(7月15日)などである。

 

 また、徳川宗家の祭祀継承者であることを示す行事もあった。紅葉山東照宮の参詣(正月と4月の17日)や、寛永寺や増上寺にある歴代将軍廟(びょう)の参詣は、その代表である。

 

 宗教的行事には他にも、氏神である山王社の祭礼(6月15日)、家康由来の神田明神祭礼(かんだみょうじんさいれい/9月15日)などがあり、さらには家康愛用の具足を飾る具足之祝(ぐそくのいわい/正月11日)、湯島聖堂の大成殿へ太刀目録(たちもくろく)などを献じる釈奠(せきてん/2月中)、碁・将棋の手合わせ(11月17日)、煤払(すすはら)い(12月13日)など、実に多かった。

 

 次に前者の大名らを謁見する行事について、特に詳しくみてみよう。

 

 正月には、年中行事の中で最も規模の大きな年始の御礼が、元日から3日の間に実施される。元日には三卿三家をはじめ譜代大名、外様大名、万石以下の諸大夫、布衣(ほい)の諸士、さらには御用達町人などが拝謁(はいえつ)し、太刀目録と馬代を進上する。それぞれが従者を引き連れて江戸城へやって来るが、城内には藩主・重臣らしか入ることはできない。江戸城の門の前は、従者たちであふれかえった。

 

 八朔は、そもそもは時の権力者への頼み(「田が実る」の意。早稲の穂で実ったものを権力者に献上すること)の儀礼で、主従関係を象徴する儀礼とされていた。そこに、家康が天正18年(1590)8月朔日(ついたち/1日)に江戸打入りしたという意義が加わり、徳川幕府にとって記念すべき祝日とされた。年始の御礼とともに、重要な行事であった。

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歴史人編集部れきしじんへんしゅうぶ

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