「月月火水木金金」の猛訓練で得られた信じ難い日本空軍の命中率!
アメリカ太平洋艦隊の一大根拠地を叩いた奇襲作戦にまつわる航空エピソード【第4回】
アメリカ艦隊の根拠地である真珠湾は水深が浅く、通常に魚雷では海底に突き刺さり攻撃は不可能であった。この問題を解決するため、潜航深度を抑えた魚雷の開発とともに、攻撃機のパイロットに過酷な訓練を課したのである。

ハワイに向けて出撃すべく択捉島単冠湾に集結した空母赤城の飛行甲板上に置かれた91式航空魚雷。当時の魚雷は今日の巡航ミサイルのように高価な兵器であった。
浅い湾内でも使用が可能な魚雷の存在が、真珠湾攻撃の成否を左右する大命題となった。
そこで91式航空魚雷(きゅういちしきこうくうぎょらい)が抱える問題の解決が図られ、深く沈み込まない浅沈度魚雷と浅沈度投射法が急遽開発されることになった。これにかんしては、以前から浅沈度雷撃を研究していた「航空雷撃の神様」こと村田重治(むらたしげはる)大尉を、パールハーバー第1次攻撃隊雷撃隊長に任ずることができたのは幸運だった。
攻撃を実施する第1航空艦隊飛行機隊の搭乗員の練度は、当時、世界の海軍航空隊の中でも最高峰にあるといっても過言ではなかった。にもかかわらずさらに浅沈度雷撃をきわめるべく、パールハーバーに地形が似た鹿児島湾において、1941年10月から97式艦攻の実機を用いた浅海面雷撃訓練が「月月火水木金金」のハードスケジュールで開始された。その結果、作戦直前には魚雷の命中率約7割という驚異的なアベレージに達していた。
一方、浅海面雷撃に向くように91式航空魚雷の改良も進められ、魚雷本体の強化、空中姿勢安定用の脱落式木製框(かまち)板の装着、安定器の搭載が行われた91式航空魚雷改2が完成した。ところが作戦開始までに100本を用意する手筈だったものが、大村海軍航空廠(こうくうしょう)での調整が遅延。同じ九州の佐世保軍港に所属し作戦に参加することになっていた空母加賀(かが)がこれを運搬し、かろうじて間に合わせることができた。
雷撃と同じく、97式艦攻によって行われる水平爆撃用の新型爆弾もまた開発された。それは、アメリカの戦艦の堅固な装甲を貫徹するための徹甲(てっこう)爆弾で、長門(ながと)型戦艦の41cm主砲用91式徹甲弾を航空爆弾に改造。99式80番(800kg)5号徹甲爆弾と称された。
ところがこの99式80番5号徹甲爆弾は、そのままの状態では97式艦攻の兵装懸吊架(へいそうけんちょうか)に装着できなかった。そこで作戦に参加する各空母に技術者を乗り組ませ、ぎりぎりのタイミングで搭載できるように改修を済ませることができた。ちなみに、作戦直前の97式艦攻の水平爆撃の命中率もまた約8割という恐るべき精度に至っていた。
かくてアメリカ太平洋艦隊を屠(ほふ)るための「二つの得物」とその「使い手」の準備は万端に整い、あとは本番に臨むばかりとなった。